思想

東浩紀『観光客の哲学』と私的な祠

東浩紀の新刊『観光客の哲学』を読みおわったあとの放心状態から、ようやくぬけだしつつある。はからずも、きわめて個人的な読書体験になってしまった。浜辺に座って、沖を航行するクルーズ船をぼんやり眺めていたと思ったら、その船が急に進路を変えて自分…

スティグレールによるゲーミフィケーション

「ゲーミフィケーション」に関してツイッターに連投したものを、せっかくだからまとめておくことにしました。不勉強ながら、ゲーミフィケーション(ゲーム化)という言葉についてはTBSラジオの「文化系トークラジオLIFE」の去年の特集で初めて知り、すると不…

日本のメディア文化: カタストロフィとメディア

本日21時から、フランスのリヨンにて以下のタイムテーブルでイベントが開催されます。 (時間はフランス時間)2:00 pm – 8:00 pm 2:00 pm - 3:30 pm 石田英敬「イントロダクション――カタストロフィとメディア」 3:30 pm - 4:15 pm ベルナール・スティグレー…

ヒマを巡る哲学的序説

以前、同人誌を出すという知り合いに求められて書いたものの、結局同人誌そのものが立ち消えになり、ずっと宙づりになっていた文章を載せます。マルクスの娘婿であるポール・ラファルグの『怠ける権利』の批判から出発し、、ベルナール・スティグレールの議…

スティグレールから見たデリダ

スティグレールの来日が数日後に迫っているということと、ほかにもちょっときっかけがあって、ここ数日、スティグレールについてあらためてつらつらと考えていたので、そのことについて書こうと思います。内容は、スティグレールが提示している考えから遡行…

マルクスの資本論を拡張してみる〔追記あり〕

思うところがあるので、「資本の再生産」、というありとあらゆる手垢と色の付いたトピックについて書いてみることにします。参照するのはカール・マルクスとピエール・ブルデューです。ただし文献学的な配慮は完全に無視して、「マルクスの言ってることって…

インターテクストと記憶

このところ、いまさらながら「インターテクスト」についてつらつら考えています。この「インターテクスト」にまつわるこまかい議論はあんまり知らないのですが、とりあえず、作品というものはそれ自身で完結しているものではなく、それを構成しているテクス…

空間、時間、リズム

昨日の日記では、『ブロック・パーティー』という映画に関して空間の可塑性という観点から簡単な感想を書きました。ということでせっかくなので、「そもそも空間って何?」ということに関して簡単な覚書を残しておくことにします。 ※その筋の世界で「空間論…

構造主義について考える4

id:finalvent氏が「混同」として指摘されてきた部分については、その指摘が要求している「精度」が意味をもつ議論の水準は当然存在するのでしょうが、この「シリーズ」で考えようとしている物事の水準ではそこは大雑把にやって問題はないだろうというのがま…

構造主義について考える3

構造主義について考える1(http://d.hatena.ne.jp/voleurknkn/20070425#p1) 構造主義について考える2(http://d.hatena.ne.jp/voleurknkn/20070426#p1)前回の末尾で、フーコーと構造主義との関係を考える際には、言語/記号というものの位置に注意を向けるの…

構造主義について考える2

前回(http://d.hatena.ne.jp/voleurknkn/20070425#p1)のつづきです。前回はごくごくおおざっぱに、構造主義のメインモチーフを「人間の乗り越え」に見出しながら、しかし構造主義そのものと「人間の乗り越え」のモチーフとの間にはズレが存在し、そのこと…

構造主義について考える1

このところ文章を書くのがどうも億劫になっているのですが、その原因はおそらくちゃんとひとまとまりのある「記事」にしなければ、という強迫のようなものを無意識のうちに保持している事にあるのではないか、と思いました。ということで、もうちょっとゆる…

ラカン、ソシュール、デリダ

この文章の目的は、ジャック・ラカンとジャック・デリダの思想的関係を、あいだにソシュールを挟むことでちょっと考察してみよう、というものです。それに際して、ジョアン・コプチェクの『わたしの欲望を読みなさい』の三章「切り刻むこと」における議論を…

pikarrrさんに答えて

「まなざしの快楽」のid:pikarrrさんからトラックバックをいただきました。 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20061230 三回にわたって部分的にアップしてきた文章についてのコメントです。 「痕跡とプログラム」 http://d.hatena.ne.jp/voleurknkn/20061222 …

デリダとスティグレール

フランスの思想家ベルナール・スティグレールの哲学のひとつのエッセンス(だと個人的に思えるもの)について文章を、二回に分けてアップしてきました。 「痕跡とプログラム」 http://d.hatena.ne.jp/voleurknkn/20061222 「プログラムとリズム」 http://d.h…

プログラムとリズム

前回アップしたスティグレールの技術哲学に関する文章は、残念ながら稲葉氏のリアクションは(さすがに)もらえませんでしたが、幸いにもpikarrrさまというたいへん聡明な方に読んでいただくことができ、その続きの部分も読んでいただけるようですのでアップ…

痕跡とプログラム

『インターコミュニケーション』という雑誌の50号と51号に載っていた稲葉振一郎氏の「公共社会の基本的枠組み」という文章を読みました。50号でなされているのは主にリベラリストとコミュニタリアンの対立の稲葉氏流の整理で、「へえ、なるほどねえ」…

プラグマティックな回路

書きたい候補が三つあって、帰り道にすこし悩みました。その三つはそれぞれ、「ちょっと下ネタ」、「よくできたネタ」、「まじめな話」というジャンルに大まかには分けられると思います。が、まずは下ネタ自粛令がまだ有効なので一つ消える。残る二つの選択…

パース対やくざ

今日はアメリカの記号論者チャールズ・サンダース・パースと、日本のヤクザとの異種格闘技の経緯と結末について報告しようと思っているのですが、そのためにはまずフランスのコミュニケーション学者であるダニエル・ブーニューという固有名詞から出発しなけ…

記憶術のおもひで

記憶術というものが、もともとはレトリックの一つのパートとして生まれたということは昔に読んだ佐藤信一郎の『レトリックの消息』に書いてあったから知っていました。ちなみにレトリックというのは日本語でいう修辞というニュアンスがもつ意味よりもはるか…

右翼と左翼

昨日の日記で触れた雑誌VOL。そこに載ってたフランソワ・ズーラビクヴィリという難解な名前の人が書いていた文章の中に次のような一節がありました。 「潜在的なもの、これを否定するのが右翼であり、これを計画として表象することで変質させてしまうのが左…

VOLの悪口とか

一昨日に引き続き、図書館で勉強する合間に気晴らしとして松本健一の『大川周明』を読みました。この人は、東京裁判の真っ最中にいきなり前に座っていた東条英機のハゲ頭をひっぱたいて連れ出されて、頭がおかしくなったと診断された人で、ドキュメンタリー…

恢復することはなかった

図書館に遅くまでいて、その帰り道でメルロ=ポンティのある言葉がなぜか頭の中でリフレインし始めたのでした。ただ、その言葉が何を言っているのかはわかっていたのですが、その正確な文句が思い出せない。だからリフレインは中途半端で、なにか落ち着きの…

読書感想文を書きます。 お題は中野昌宏著『貨幣と精神ー生成する構造の謎』たまたまみつけた http://d.hatena.ne.jp/arg/20060402/1143988779 で、上記の本が出版されたことを知りました。中野氏のサイトは以前何度か覗いたことがあったのですがずっとご無…

そろそろ『ホテル・ルワンダ』がらみ以外のことも書いてみます。 ゆるーく。このところ、身体論というものに興味があるのですが、一般的にはどう捉えられているんでしょうか。僕自身はといえば、技術とは何かを考えていく過程で身体論というものに行きついた…