卒業にいたる決断のドキュメントとしてのももクロ有安杏果「色えんぴつ」(『ココロノオト』)
はじめに
ももいろクローバーZの有安杏果さんが卒業してから3日が経ち、ようやく少し気持ちも落ち着いてきたので、有安さんのソロアルバム『ココロノオト』を改めて聴いた。このアルバムは以前からかなり気に入っていたのでこれまでにも数十回は通して聴いていたはずなのに、彼女の卒業後に聴きなおしたそれはまったく違って聴こえて驚いた。しかしいちばん驚いたのは、本編最後から2番目に収録された「色えんぴつ」という曲。本当は、驚いたなんていう表現では生易しすぎる。聴きながら、戦慄して、あまりに苦しくなってしまって、動悸がしてきた。そしてもういちど曲を聴きなおして、確信した。この曲は、ももクロ卒業にいたる有安さんの苦悩を赤裸々に歌った曲なのだ、と。実をいうと最初は、このことは自分の胸の内だけにしまっておこうと思った。この曲からぼくが読み取った有安さんの思いは、これから4人で歩き出そうとしているももクロにとってけっしてプラスになるものではないからだ
いろいろ悩んだ結果、いまこうして、この「色えんぴつ」という曲について書こうとしている。その理由はただひとつ。少しでも多くの人に「色えんぴつ」を、そして『ココロノオト』というアルバムを聴いてほしい、という思いを抑えられなかったからだ。思い、というよりは責任感といった方がいいかもしれない。というのもいまぼくは、この『ココロノオト』というアルバムが日本のアイドル史(」音楽史」ではなく)*1に残る作品だと確信しているからだ。それはそのクオリティの高さというだけではなく、今回の卒業劇とも直接つながる一種のドキュメントとして、唯一無二の価値をもってしまった、ということだ。
有安杏果「色えんぴつ」の歌詞分析
「色えんぴつ」は有安杏果本人が作詞・作曲をつとめ、編曲は有安さんが指名したYaffleが担当。『ココロノオト』に収録された曲のなかでももっとも最後に制作された作品の一つであり、おそらく、彼女の卒業に向けた内部での話し合いが最終局面に入っている段階で制作が進められたのだろうと想像される。そして以下がこの曲のPVだが、その監督をつとめたのも有安さんが指名した映像作家・外山光男である。
そしてこちらがライブでのパフォーマンスである。
この曲の歌詞を、有安さんが卒業した現在から改めて読み直してみると、ももいろクローバーZというグループのなかでの自分の在り方を悩んでいたであろう有安さんの心情があまりにも直接的に語られているように読めてしまう。すこしずつ見ていってみよう(歌詞の全文はこちらを参照)
歌詞の冒頭はこうなっている。
薄っぺらな缶ケース
毎日その中佇んでる
ひっそりすみっこ佇んでる
ここが僕の居場所なんだ
最初に色えんぴつの「缶ケース」が登場するが、これは、5人が5色をそれぞれ担当するももクロというグループのことを指すだろう。そしてそのなかで「ひっそりすみっこ佇んでる」のだという。ももクロのメンバーの立ち位置はいつも決まっており、緑を担当する有安さんは5人の左端を定位置としている。

この曲をぼくはこれまでも繰り返し聴いていたけれど、不思議なことに「色えんぴつ」がももクロのことを指すのだと思ったことは一度もなかった。そして「すみっこ」が「僕の居場所なんだ」という歌詞についても、特定の心情を比喩的に表現しているとしか受け取って来なかった。しかし有安さんが「普通の女の子になりたい」と言ってももクロを卒業した現時点から振り返ると、この歌詞はももクロのなかでの自分のことを歌ったものとしか読めない。そのことに微塵もきづかなかったという事実は、認めなくない現実から目をそらす否認の機微が働いたのだとしか考えられない。
つづく歌詞はこうだ。
誰かに気づかれることもなく
いつだって変わらない
1mmだって変わらない
自分のファンたちにも、そしておそらくほかの4人のメンバーたちにも、自分の本当の心情は気づいてもらえてない。その事実に対する孤独感と、そして「1mmだって変わらない」という閉塞感が、これ以上なくまっすぐ歌われているように見える。
尖ったままの僕の苦しみ
誰かわかってくれるかな
まあるくなって短くなって
ポイって、ほら捨てられるより辛いのさ
尖った先が今日もまた
僕の心に鋭く突き刺さる
ここからはさらに解釈が入ってくる。「尖ったままの僕の苦しみ」とは何を指すだろうか。前回の記事「ももいろクローバーZ有安杏果の卒業と一つの成長物語の終わり」では、おそらくある時点から有安さんにとってももクロが自分を成長させてくれる物語であることをやめ、自分自身の物語を紡いでいくために模索しはじめていったのではないか、という仮説を述べた。「色えんぴつ」のなかの「尖ったままの僕の苦しみ」とは、ももクロの物語から分岐して、自分自身の物語を求め紡いでいってしまう有安さんの自我を指すのではないだろうか。自分の成長とももクロの成長とを同期させることができていれば、そこには過酷さはあったとしても実存的な問題は生じない。でもそうした同期が外れてしまい、けれどもももクロとして日々全力で走りつづけなければならないという状況に身を置かざるをえなくなると、自分自身の物語を求めてしまう自我は、自分を苦しめるものとなってしまう。ももクロとして活動していくためにはそうした自我を抑えていかなければならないのだけど、しかし芽生えはじめた自我を抑えきることは不可能で、結果として「僕の心に鋭く突き刺さる」。
まっさら白い画用紙の上
みんなが色とりどりに
今日もお絵かき楽しそう
誰も僕に気づかないかな
「まっさら白い画用紙」に自由奔放に「色とりどり」に「お絵かき」をしていく「みんな」とは、ももクロの他の4人のメンバーのことだとしか思えない。
色を持たない僕の寂しさ
誰か分かってくれるかな
上塗りされて混ざり合って
ほらって違う色になるより辛いのさ
尖った先が今日もまた
僕の心に鋭く突き刺さる
ここには、「色を持たない僕の寂しさ」という表現がある。有安さんは卒業ライブの際に、しばしばももクロに対して言われる「奇跡の5人」という表現に対して、「私は実はあまりそう思ったことなくて、この4人とモノノフさんとで5人だと思っています」と述べている。他の色えんぴつに対する「色を持たない僕の寂しさ」という表現は、現時点から振り返ると、ファンの間で物議を呼んだ上の発言と完全に呼応する。
そして重要なのはここからの展開だ。「だけど」という逆接を挟んで、色えんぴつのなかでの孤独を歌っていた前半部から、後半部では「君」という言葉が登場してくる。
だけど
君の悲しみの涙を薄め
くすんだ心のひとすじの光になる
僕にだって出来ることあるんだ
ここに出てくる「君」とは何を指しているだろうか?ここで大きなヒントとなるのはPVである。PVの「君の悲しみの涙を薄め」という歌詞に対応する箇所を見ると、そこでは涙が音符に変わっていくのだ。

だから、「悲しみの涙を薄めくすんだ心の一すじの光」にできる「僕にだって出来ること」とは音楽に他ならないだろう。このPVの制作にまつわる裏話をちゃんと確認したわけではないので、すでにどこかで語られているのかもしれないけれど、PVの後半部に登場してくる音符については、有安さんからPV監督の外山氏に明確な指示があったのだろうと想像される。
尖ったままの僕のプライド
君がそっと削ってくれて
まあるくなって短くなって
ハイって、やっと君の役に立てるんだ
前半部では僕の心に突き刺さっていた「僕のプライド」は、「君」に削られることで、やっと「君」の役に立てる。歌詞のこの個所では、「君」の立場が二重になっている。一方では「君」は僕を「削ってくれ」る何かであり、他方「君」は僕が役に立ちたい相手でもある。少しアクロバティックな解釈になるが、ここでは「君」を、「音楽」と「音楽を愛する気持ち」をともに指す言葉である、と解釈したい。ももクロのなかでは自分を傷つけるだけであったプライドは、音楽と出会うことで、まあるくなって役に立てるようになる。それが役に立つ相手は「音楽を愛する気持ち」だ。その気持ちは自分のなかにもあるし、とうぜん他者のなかにもある。音楽を通して、そういう「気持ち」に何かを貢献できることなることで、はじめて自分自身というものを見つけることができる。ちなみにPVの上記の歌詞の箇所では、音符につつまれた「君」もしくは「僕」が映し出される。

尖った先が今日だけは
君の心を優しく映し出す
尖った僕でもいつかきっと
君の優しい心に
彩りつけられるはずだから
そして「色えんぴつ」という楽曲は、色を持たなかった自分も、音楽を通じることによっていつかきっと「彩りつけられるはずだから」と締められる。ももクロファンとしての僕は、やはりどうしても、この「彩り」という言葉に最後の希望を込めたいという思いに駆られる。アイドルとしてではなく、音楽をつくる人として自分の尖った心をまあるくして、いつかきっと、ももクロに楽曲を提供してほしい。もしかしたらそのときはじめて、4人の奇跡は5人の奇跡になるのかもしれない。
アイドル史上の異様な傑作ドキュメントとしての『ココロノオト』
2011年の中野サンプラザでの早見あかりの脱退コンサートは、アイドル史にのこるドキュメントとして広く評価されている。そこでは、10代の少女たちがそれぞれ力強く前に進んでいくために避けることのできなかった別離という出来事が、むき出しの感情からなる一つの作品へと昇華されていた。2018年1月21日に幕張メッセ開催された有安杏果卒業ライブは、明らかに7年前の別離劇を意識した演出となっており、実際さまざまなオマージュがちりばめられていた。おそらく演出側は、早見あかりの脱退劇に匹敵する感情の作品を作り上げることを狙っていただろう。しかし実際には、その目論見は空振りに終わった。それは、感情をぶつけてくるほかのメンバーに対して、有安さんはあくまでも笑顔を崩さず、感情をぶつけ返すということをしなかったからだ。ぼくはその光景を見て、有安さんはこの卒業ライブが行われる以前からすでに卒業してしまっているのだな、と感じた。だから、卒業ライブの場でメンバーとファンとが一緒になって作り上げていく卒業というリアルタイムのドキュメントにはならなかったのだ、と。
しかし卒業ライブがおわり数日たって、有安さんの『ココロノオト』を聴きなおして気づいたのは、卒業までにいたる感情のドキュメントはまさにこのアルバムのなかにあったのだ、ということだった。このアルバムは、音楽的にも高い評価を受け、『ミュージックマガジン』が選ぶ2017年の「Jポップ/歌謡曲 ベスト10」の6位にも選出されている。しかしそういった音楽的評価とは別に、国民的といわれる存在にまでなったアイドルグループのメンバーでありながら、方向性について悩み、最終的には卒業の決断をくだしていくその心のプロセスを赤裸々につづったドキュメントとして、このアルバムはアイドル史あるいは芸能史のなかで唯一無二の存在であるのだ、と思えてならない。早見あかりの脱退劇は青春の残酷さが生んだアイドルドキュメントの傑作だったが、この『ココロノオト』もまた、別種の青春の残酷さが生んだ、まだ名前のつけられていないジャンルの大傑作なのだ。

- アーティスト: 有安杏果
- 出版社/メーカー: キングレコード
- 発売日: 2017/10/11
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*1:このことは、『ココロノオト』が音楽的にすぐれていないということを意味するわけではない。後述するように、このアルバムは『ミュージックマガジン』が選ぶ2017年の「Jポップ/歌謡曲 ベスト10」の6位に選出されている