恢復することはなかった

図書館に遅くまでいて、その帰り道でメルロ=ポンティのある言葉がなぜか頭の中でリフレインし始めたのでした。ただ、その言葉が何を言っているのかはわかっていたのですが、その正確な文句が思い出せない。だからリフレインは中途半端で、なにか落ち着きの悪い中心でぐるぐる回る。

そのことをさっき思い出して、その言葉を読んだはずの本を開いてみたのでした。すると、なぜ自分が正確な文句が思い出せなかったのかわかりました。メルロ=ポンティが語ったと僕が思っていた言葉は、実際にはサルトルメルロ=ポンティについて語った言葉でした。

メルロは、一九四七年のひと日に、比類のない幼少時期から自分は決して恢復しなかったとわたしに告げたことがある。

ここでは確かにメルロ=ポンティ自身の語った言葉が述べられていますが、しかしここにあるのはあくまでもサルトルの言葉です。そして僕はあくまでもサルトルの言葉を読んでいたはずだったのでした。が、そのことは完全に忘れていて、僕は直接にメルロ=ポンティの言葉をきいていたかのような錯覚を覚えていたのでした。

わたしはわたしの幼少期から、決して恢復することはなかった。

帰り道、「幼少期」という言葉と「恢復」という言葉だけは頭にこびりついていて、正確な文句を思い出せないながらも上のような一文を僕はメルロ=ポンティ自身の独白として構成しながら帰っていきました。その言葉を知ったのは実際にはサルトルの言葉を通してだったということを今さっき知ってちょっと驚いたのですが、しかしあらためて考えてみれば、そのことにはなにか必然的なものがある、という気がします。

わたしはわたしの幼少期から、決して恢復することはなかった。

この独白ほどに内密なささやきというものは、そうそうないような気がします。頭の中でひそやかに鳴ることこそがふさわしい文句です。これはきわめて孤独な独白ですが、どこか夢見るようなところがあります。絶望しながらどうしてそのように嬉しそうなのかと聞きたくなります。「恢復することはなかった」と、まだ人生が終わったわけではないのに断定してしまっている。この断定に、絶望と甘美とが同時に流れ込んでいるのだと思います。

と書いてみて、たぶんこれは例の春の夜に近いなにかなんだろうと気付きました。
http://d.hatena.ne.jp/voleurknkn/20060316
危ない傾向です。