2005-09-01から1ヶ月間の記事一覧

身体のメディアハビトゥス・・・ジェンダーハビトゥスー習慣・・・デカルト『情念論』ハイデガーの「投企」と「配慮」の区別の止揚・・・技術を通して身体のメディアハビトゥス・・・ジェンダーハビトゥスー習慣・・・デカルト『情念論』ハイデガーの「投企…

メディアを通してのパルタージュ・・・ジャン=リュック・ナンシー ↓ ・1866年、大西洋横断海底ケーブル ・1927年、リンドバーグによる大西洋横断飛行メディアとしての身体・・・デリダのアルトー論 技術論としての精神分析・・・デリダのフロイト論…

desorientation ・・・差延の危機としての、脱時間化と脱領域化 スティグレール『技術と時間2』P107 ↓ これは、通俗的なデリダ理解と真っ向から対立するしかし単純化には気をつけるべき。 厳密には差延は抹消されえず、その編成の仕方が変わるだけ。この…

ラカンの現実界とデリダの差延 ・・・ともに外部へのレファレンスをもたない、構造上の地点。メディアの一次的利用・・・プログラム・・・メディア・ハビトゥスヴィトゲンシュタインとデリダ プログラムと習慣styleとstylo、バルトの『エクリチュールの零度…

メモ

メディアハビトゥス・・・ブルデューフッサールの相互主観性を、デリダの痕跡概念を経てメディオロジーへとつなげる

続デリダ

修論デリダ計画、妄想ではなくかなり本気になってきました。 目次 1、メディア論におけるデリダ 2、デリダのメディア論 3、メディアとしての文字 4、メディアとしての紙 5、電子メディア 6、メディアを通しての他者あるいは主体化 7、まとめといった…

妄想無罪

修士論文でデリダ論を書いてしまおうかと妄想。 メディウム論者デリダ。 メデディウムとしての文字、メディウムとしての紙。