東浩紀『観光客の哲学』と私的な祠

 東浩紀の新刊『観光客の哲学』を読みおわったあとの放心状態から、ようやくぬけだしつつある。はからずも、きわめて個人的な読書体験になってしまった。浜辺に座って、沖を航行するクルーズ船をぼんやり眺めていたと思ったら、その船が急に進路を変えて自分の方に真っ直ぐ向かってきて、波打ち際さえ乗り越えまっすぐ自分の胸のなかに侵入してきてそのまま大きな錨を投げ下ろしてしまった。呪いにも近いその錨の重さを少しでも鎮めるために、祈りのようなブログを書いてみようと思う。

 ぼくにとって『観光客の哲学』という本は、「不気味な」本になってしまった。それはたとえば、自分の影が自分の代わりに社会生活を営んでいることに気づいた不気味さに近い、といえるだろうか。自分のなかの内的な何か、誰も知りえないはずの何かが、外の世界で大手をふるって歩いている。これは不気味な経験だ。もちろん、誰かの本を読んで自分が考えていたことがそこに書かれている、というような経験は誰にとっても覚えがあるだろう。そしてそのこと自体にはなにも不思議なことはない。ひとびとは同じ時代、同じ変化のなかに生きており、そこで数知れない人が数知れないことを考えている。同じようなことを考えている人は必ずいるものだ。とくに思想家や批評家という人は、多くの人が何となく考えていること、萌芽的に感じていることを、誰よりも早く、深く、明晰に言語化する人たちなのだから、それらの人びとの書くものを読んで「この人は自分と同じことを考えている」という印象を受け取るのは、ある意味必然だ。これまでぼくにとって東浩紀という人は、そういった同時代の思想家、批評家のなかでも最も優れた一人、という認識だった。その限りで、不気味さはどこにもない。

 『観光客の哲学』も、まずはそのように読んでいた。リベラリズムと他者性という問題、国家とグローバリズムの問題、欲望と資本主義の問題、これらの普遍的な諸問題を、「観光客」という存在を入り口とし新しい思想的な地図の上に描き出していくその議論の壮大さと大胆さ、そして説得力に、それなりに(というか十分に)興奮して読んでいたはずだった。しかし、最後のドストエフスキーに関する章で、この本全体がすっかり不気味なものとなってしまった。どうしてこんなことが起こりえるのか?

 しかしドストエフスキーの話に入る前に、デリダの話からはじめよう。
 大学の学部生の頃、現代思想で最初に興味をもったのはエマニュエル・レヴィナスの他者論だった。免疫のない青二才だった自分は、他者とは顔であり、その命令は絶対であるとするレヴィナスの議論にすぐにかぶれた。しかしぼくはすぐに疲れてしまう。レヴィナスはいう、「他者の顔を無視することはできない」と。そうかそうかと僕は真に受ける。真に受けたまま街を歩く。すると他者の顔が溢れている。レヴィナスを信じるならば、それらの顔を無視することはできない。でも、その顔ひとつひとつに応答しようとすると、とても身が持たない。実際ぼくは、街を歩きながらいくつもの顔をスルーしていくことになる。自分だけではない、街を歩くあらゆる人びとが、脇を通り過ぎるいくつもの顔を無視している。レヴィナスのあの命令はどこにいったのだ?ぼくは混乱した。混乱しながら考えた。そして自分なりに結論をくだす。レヴィナスの主張に反して、他者の顔を無視することは可能だ。それもきわめて容易に。これはどういうことだ?こうした困惑のなか、ぼくはデリダに出会うことになる。
 デリダは「暴力と形而上学」(『エクリチュールと差異』所収)という論文でレヴィナス批判を展開している。自分がこの論文から読み取ったのは、他者は節約(économiser)可能だということだ。他者の他者性は、つねに節約された形でのみ出会われる。そして他者の他者性を節約する手段が、たとえば言語だ。ことばが通じる時点で、その相手は絶対的な他者ではない。そこには「わかる」という可能性があらかじめ書き込まれている。もしことばが通じないとしても、ことばをしゃべっているとわかる時点で、やはりその相手は絶対的な他者ではない。そこにはやはり、「わかる」という可能性が予感される。実際には、他者の節約はもっとシステマティックになされている。たとえば挨拶の文言には定型がある。ぼくたちは、それぞれの他者の絶対的な特異性に対応した、絶対的に特異な挨拶の文言をそのつど発明したりしない。誰に対しても用いる挨拶を、多くの他者に対して反復する。相手もまた定型化された挨拶を返す。こうしたプロトコルが、他者の他者性をあらかじめ節約してくれる。社会あるいは文化によって規定された振る舞いのプロトコルもまた、他者の他者性を節約してくれる。ファッションもそうだ。「ちゃんとした」ファッションは、相手に対して自分が「安全」であることを告げ知らせ、また相手のファッションを通してぼくたちは相手があらかじめ「安全」であることを確認する(もちろんヤバい人もいる。その場合には僕たちそこに溢れる他者性の過剰にあらかじめ警戒する)。ぼくたちは、他者の他者性に出会いすぎないように、さまざまなプロトコルを通して自分を守り、またそのような盾を介して、その盾の向こう側に他者と関係する。
 貨幣もまた、そうしたプロトコルのひとつだ。お金のやりとりは、他者の他者性を節約することを可能とする。お金は、自分の代わりに店員さんとコミュニケーションしてくれる。それでいて、そこにはなんらかの関係も生まれる。東浩紀がいうところの「観光客」が可能となるのも、お金が他者の他者性を節約してくれるからだ。ただし「節約」は「抹消」ではない。お金が媒介することでぼくたちは消費者として他者性と出会うことになるのだけれど、しかしそこでは他者性は完全に抹消されるのではなく、お金によって節約された形で、しかしたしかに出会われる。そこに可能性をみようとするのが『観光客の哲学』の出発点のひとつだろうし、ぼくは基本的に同調する。ぼくの学部生時代の哲学との出会い、他者の節約可能性というその当時自分が大事にしていた考え方が、「観光客」という自分が考えもしなかった切り口によって、新しい哲学を形作っている。もちろんここには不気味なことは何もない。たんに同時代性を感じるだけだ。問題は、ドストエフスキーだ。

 学部時代の卒業論文で、ぼくはドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を論じた。かれこれ15年近く前、2003年頃のことだ。だから、東浩紀の『観光客の哲学』の最終章が「ドストエフスキーの最後の主体」と題されているのを目にしたとき、どういう風に論じるのだろうと少しだけつよい興味をもった。それだけであった。しかし実際にその章を読みはじめ、東浩紀ドストエフスキー論が「子どもたち」を主題としているのを知り、どきっとした。ぼくの卒業論文は、『カラマーゾフの兄弟』における「子ども」を主題としていたからだ。そして東浩紀ドストエフスキー論は、『カラマーゾフの兄弟』にみられる、というよりも正確にはその存在しない続編のうちに(亀山郁夫説によって)想像される子どもとの関係性のなかに、ドストエフスキーの最終的な結論を見出すという論旨だった。僕自身は、未完の続編ではなく既存の『カラマーゾフの兄弟』に即する形だったけれども、その結論はほとんど同じで、『カラマーゾフの兄弟』は子どもとのある関係性において、それ以前のドストエフスキーが解決できなかった問題に答えを与えている、というような主張をしたのだった。
 当時の卒業論文のデータがないかパソコンやメールを探してみたけれど、見当たらなかった(当時まだそれほど名前の知られていなかった批評家の杉田俊介さんに読んでもらった感想メールはあったので、杉田さんに尋ねたらデータが見つかるかもしれない)ので、内容は正確には確認できないけれど、たしか、『カラマーゾフの兄弟』のなかで「子ども」と「顔」がどういう役割を果たしているか、ということを分析していったのだった。そして東浩紀の『観光客の哲学』との関係でいうと、東のドストエフスキー論では触れられていないけれど、『カラマーゾフの兄弟』では「顔」ということばは家族的な存在との関係においてのみ表われる。たとえば長老ゾシマは、アリョーシャが自分の息子を思い出せるというようなことを話しながら、「わたしはお前の顔が好きなのだ」というようなことを言っていた(たしか)。あるいは、長老ゾシマはアリョーシャに対し、「お前の顔が、イワンを助けてやれる」(大意)というようなことをいっていた。また、東浩紀亀山郁夫がアリョーシャの擬似的な子どもであるとするコーリャ・クラソートキンに対して、アリョーシャは「顔」ということばを使っていた。それらにおいて共通するのは、ドストエフスキー的な際限のない自己対話(バフチンが「ポリフォニー」として取り出したもの)が停止される瞬間に、この「顔」という形象が登場している、という点だ。相手を無条件的に受け入れる、という出来事が、(子どもの)顔との家族的関係、という形でときおり奇跡のように現われる。この奇跡の瞬間によって構造化されているという点に、『カラマーゾフの兄弟』という作品の独自性がある、ということをたしか論じたような気がする。このときの「子ども」というのは、たんに年齢の問題だけではない。どんな年寄りにだって、生きるということに対するある無垢さ、無邪気さがある。その限りにおいて、誰にだって子ども性はあり、その子ども性を家族という固有の関係性において無条件に抱擁し、受け止める。ここにアリョーシャという人物像の達成がある。この卒業論文を書いたとき、ぼくはそれほど広くドストエフスキー研究を追いかけられていたわけではないけど、こういった「子ども」をめぐる議論を読んだ記憶はなかった。だからこのアリョーシャ像、『カラマーゾフの兄弟』における「子ども」と「顔」と「家族」という問題系は、自分のなかだけの個人的な遺産として、体のなかの内臓のどこからにそっとしまいこんでいる、という類いのものだった。これらの内密なものが、もちろんまったく同じではないけれど、とても偶然とは思えないような近さで他人の本のなかに登場してきたのをみて、言いようのない不気味さを覚えたのだった。
 
 ほとんど排泄物のような文章を書いてきたことで、少し心も落ち着いてきた。これをもって、『観光客の哲学』の不気味さに対する鎮守としよう。そしてその祠を、ブログ記事としてここに残しておく。