文学・映画

ジョバンニは富士ヶ丘高校演劇部の夢を見たか

5月24日の日曜日夜8時頃、ももいろクローバーZ主演の舞台版『幕が上がる』が最後の公演を終えた。2012年出版の平田オリザの原作小説を元に、映画、舞台へと展開されていった『幕が上がる』プロジェクトがひとまずの終わりを迎えたわけだ。このブログ…

 平田オリザ『幕が上がる』――青春物語の向こう側について(ほぼ非ネタバレ)

現代日本を代表する演劇人平田オリザが執筆した小説『幕が上がる』。高校演劇を題材とした青春物語として2012年に出版されたこの作品が、ももいろクローバーZ主演での映画化によって、再び脚光を浴びている。おそらく一般的にはこの『幕が上がる』は、『ウォ…

自己を完遂する孤独――『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』

何かしら新しいところのある映画については、その新しさの核心を一息につかまえてしまおうなどと考えるのは無謀なことで、さしあたりは、「それは何ではないのか」を数え上げていくことで、おずおずとその輪郭を浮かび上がらせていく、という手順を踏むのが…

『早稲田文学』と資本主義

今日、池袋ジュンク堂の雑誌コーナーで、復刊された『早稲田文学』を発見しました。しばらく以前からフリーペーパーになっていたのが、ついに雑誌として復刊したというのをたしか新聞広告かなにかでちょっと前に目にして気になっていたのですが、すっかり忘…

『近松物語』と業

今日は早稲田松竹に、『近松物語』と『雨月物語』という溝口健二二本立てを観てきました。どちらについても書きたいことがあるのですが、とくに『近松』についていろいろ考えました。しかし、どう言ったらいいのか・・・「業」ってのがありますよね。「業が…

インターテクストと記憶

このところ、いまさらながら「インターテクスト」についてつらつら考えています。この「インターテクスト」にまつわるこまかい議論はあんまり知らないのですが、とりあえず、作品というものはそれ自身で完結しているものではなく、それを構成しているテクス…

『長江哀歌』の感想

昨日、一昨日と、ジャ・ジャンクー(賈樟柯)監督の『長江哀歌』を恵比寿で観てきました。二日連続で同じ作品を劇場に観に行ったのは初めてです。この映画の持つ魅力がそうさせた、と単に言ってしまってもいいのですが、それに加えて、ちゃんと確認しておき…

『ブロック・パーティー』と空間の可塑性

なんだか最近文章を書くのがどうにもめんどくさいので手短に。『エターナル・サンシャイン』のミシェル・ゴンドリーが監督となり、アメリカの超過激コメディアン、ディヴィッド・シャペルが組織したブルックリンでの街の一角で開催されたフリー・パーティー…

『トゥモロー・ワールド』を観る

日本では昨年の末あたりに公開された『トゥモロー・ワールド』という映画を観て、これがたいへん面白かったのですが、自分が何か感想を書くまでもなく、次のような素晴らしい文章を見つけたので黙っておくことにします。 http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/…

ブレヒトと二人のアドルフ

三月に知り合いが入っているKAZEという劇団で上演されたブレヒトの『第三帝国の恐怖と悲惨』という芝居を見て、毎回見たあとには感想を書いているのですが今回はいろいろ忙しくて放置していたところを、このままではよろしくないということでさっき感想を書…

ハムレットの饒舌

デリダの『マルクスの亡霊』の英訳を読んでいて気付きました。 シェイクスピアの『ハムレット』の有名なセリフに、"To be, or not to be : that is the question”というのがあります。「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」とか「あるべきかあらざるべき…

「ポールさんのようになる」でいいのか

『ホテル・ルワンダ』という映画をめぐって、「ポールさんのようになる」というキャッチフレーズが行き交っています。その利用法はというと、「僕らもポールさんのようにならなければならない」というようなところか。しかし僕はこの言葉、どうも好きになれ…

『ホテル・ルワンダ』にまつわる派生的なことがらについて書いたわけですが、じゃあ『ホテル・ルワンダ』自体はどうなのかも問われます。なので、ちょっと恥ずかしいですが、しばらく前に別のところで書いた『ホテル・ルワンダ』についての感想をアップします。こ…

『ホテル・ルワンダ』をめぐっての「町山/関東大震災」問題について書かれたhokusyuさんの以下のエントリー http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20060305 についてコメントを書き、それに対するレスポンスをいただいたのですが、それについてさらに書こうとする…