構造主義について考える1

このところ文章を書くのがどうも億劫になっているのですが、その原因はおそらくちゃんとひとまとまりのある「記事」にしなければ、という強迫のようなものを無意識のうちに保持している事にあるのではないか、と思いました。ということで、もうちょっとゆるく、エッセイ=随筆みたいな感じで、このところ考えていることを気ままに書く、ということもやってみたいと思います。

とかいいながらちょっと「お固い」話になってしまうのですが、このところ「構造主義」というものについてつらつらと考えています。すごく素朴な話で、「構造主義ってなんなんだろう?」とか「構造主義が終わったとかいわれるのはどういう意味なんだろう?」とか、まあそんなことです。ここではそういった「なんだろう?」を巡って考えていることをメモ帳がてらに気ままに書いていくことにします。

まず陳腐な言い草ですが、「構造主義とは人間を脱中心化する運動である」と述べてだいたい間違いはないかと思います。つまり、最終的な参照先としての人間というものを捨て去る、ということです。そしてその脱中心化の先、つまり新たな参照先として見出されるのが言語あるいは記号ということになります。それゆえ構造主義の歴史はたいていの場合ソシュールから語り起こされる。

ソシュールは言語というものを差異の体系として描き出した。ソシュールが言語の単位として見出すのは音、より正確いえば音素ですが、音素が意味をもつのはそれが他の音素と異なっている限りにおいてであり、言語とは、もろもろの音素の隔たりの体系として存在している。つまり言語は、音素から成り立つ音素の体系なのではなく、それぞれの音素同士の隔たりから成り立つ差異の体系である、というわけです。

それまで、意味の担い手は「人間」であり、ソシュールと同時代の人ですがたとえばフッサールは『イデーン』において人間の意識を意味の根拠として見出したのでした。しかしソシュールの発想ではもはや意味は人間によって担保されるのではなく、言語という差異の体系が生み出す効果でしかないということになります。ここに、ソシュールによって歩み出された根本的な脱人間化の契機があった、とさしあたり述べることができるでしょう。

構造主義、という言葉はなによりもまずレヴィ=ストロースという固有名と深く結びついていますが、よく知られているようにはじめて「構造主義」という言葉を用いたのはヤコブソンです。さらにはニューヨークでレヴィ=ストロースソシュールを教えたのもヤコブソンですから、構造主義へのヤコブソンの貢献は多大なるものがあります。ヤコブソンはソシュールによって提唱された「差異の体系」の発想をさらに洗練させ、それをさまざまな二項対立の組み合わせにまで圧縮しました(たぶん)。

レヴィ=ストロースはそのヤコブソンの構造主義言語学を人類学の領域に応用し、そのことによって未開部族の親族構造を、双分組織として社会に存在する二項が婚姻を通してお互いに交換を行なっていくものとして分析していきました。その成果として書き上げられたのが『親族の基本構造』であり、1949年出版された(執筆は1947年)この書物がフランスにおける構造主義の出発点になったということはいうまでもありません。

「世界は人間なしに始まったし人間なしに終わるだろう」、というのはレヴィ=ストロースが『悲しき熱帯』末尾に書き付けた有名な言葉ですが、人類学=人間学者(Anthlopologiste)である彼がこのように述べるというのは、しかし、そこでの人類学というのが構造主義的人類学である、ということを考えれば何も不思議なことではありません。意味が言語という差異の体系の効果として生み出されるように、人間そのものが不変の対立項のさまざまな変換規則の効果として生み出される、というのです。

人間はもはや中心には存在せず、むしろ人間は構造の効果にすぎない。この主張に構造主義における人間の脱中心化のマニフェストが集約されており、当時のフランスの思想の配置でいえば、このマニフェストサルトルに代表される実存主義と真っ向から対立するものでした。歴史の担い手として人間的主体を指名するサルトル実存主義ヒューマニズムに対し、構造主義はいわば構造の論理を主張する。そしてサルトルヒューマニズムは、構造主義の隆盛を尻目にまたたくまに過去の思想となっていく。

以上の要約は、ほとんど教科書的な構造主義の歴史のごく一部を抜き出してきたものに過ぎず、そこ自体には僕としてはほとんど興味はありません。そこでは人間の乗り越えというモチーフがつねに構造主義という思想の潮流を牽引している、ということだけを確認しておけば十分です。僕にとって興味があるのは、この「人間の乗り越え」というモチーフによって開かれた地平を共有しながら、しかしお互いにはさまざまに差異を示し合うそれぞれの構造主義的思想の間の関係であり、フーコー風に言えばそれらの諸思想を配置する分散の規則とでもいうものです。

とはいっても、レヴィ=ストロース構造主義的人類学があり、バルトやジュネット構造主義的文学論があり、ラカン構造主義精神分析があり、アルチュセール構造主義マルクス主義があり、といった思想のカタログを作り上げたい、というわけではありません。僕が見出したいのは「構造主義」という旗印のもとに取り集められるようなある均質性ではなく、いろいろなひずみや歪みや断層といったものであり、より具体的には、「人間の乗り越え」というモチーフがもつ地平と、いわゆる構造主義という思潮がもつ地平とのズレのようなものです。

「人間の乗り越え」と構造主義との間のズレの存在、このことは「ポスト構造主義」と呼ばれた思潮のことを考えてみればすぐに理解できます。というのも「ポスト構造主義」というものもまた、「人間の乗り越え」という問いの地平のなかにあるからです。構造主義は「人間の乗り越え」というモチーフに牽引されて展開されていったのですが、しかし「人間の乗り越え」そのものは狭義の構造主義には明らかに収まらないものである。このことが、構造主義という思潮のなかにさまざまなひずみや断層を生み出している、というような印象を僕は持っています。

で、そのひずみや断層を細かく見ていくと、「構造主義はなんだったのか?」とか「構造主義の終わりとは何のことなのか?」という事と同時に、ではその後のポスト構造主義とはなんなのかとか、その他いろいろなことも見えてくると思うのです。だからこのところ構造主義についていろいろ考えているのですが、ここまでのところでは結局、「どうして構造主義についてつらつら考えているのか」という説明までで、具体的に考えている内容までは入っていませんね。ということで、いつものように、ここまでが前置きということで、本題は次回以降に書いていこうと思います。