VOLの悪口とか

一昨日に引き続き、図書館で勉強する合間に気晴らしとして松本健一の『大川周明』を読みました。この人は、東京裁判の真っ最中にいきなり前に座っていた東条英機のハゲ頭をひっぱたいて連れ出されて、頭がおかしくなったと診断された人で、ドキュメンタリー映画の『東京裁判』にそのシーンが映っています。ぼくもその頭のおかしくなった人っていうことくらいしか知らなかったんですが、じつはすごい人みたいです。

まあ説明はしませんが、自覚的な民族主義者というやつで、一般的には北一輝とならんで右翼の精神的支柱の一人という風にカテゴリーされるみたいなんですが、実際はそんな単純な話ではないぞ、っていうのが松本健一の議論です。インド独立運動の父であるボースの盟友のなんとかというインド人を匿ったこともあり、一筋縄では行かない人みたいです(最初はマルクスに傾倒してたらしい)。

とそれはさておき、北一輝とか頭山満とか保田与重郎とかいう戦前の立派な「右翼」の名前が出てくる本なので、バランスをとりたいと思って昨日出版されたVOLという不定期発刊雑誌を買いました。昨日か一昨日の朝日新聞で「ニートやフリーターのための思想雑誌」みたいな風に紹介されていて、酒井隆史渋谷望といった「その筋」の思想家が編集しているということを覚えていたのでした。 ほかにも、: 萱野稔人、高祖岩三郎、田崎英明、平沢剛、松本潤一郎、松本麻里、矢部史郎

とりあえずキャッチフレーズは
「理論/芸術/運動をラディカルに組み替える新理論誌VOLの誕生。有望若手思想家を中心に「思考の場所」を取り戻す!!」
という感じらしいです。「運動」、「ラディカル」、「組み替える」、「思考の場所」といったジャーゴンからわかるように、左翼系雑誌です。僕としては、小難しい話じゃなくて、「ニートやフリーター」が社会の中での自分たちの位置や政治的な選択肢や身の処し方を考える上で必要だろう思想を養っていくための雑誌、という風なイメージを持っていました。

で、一番最初の記事は五人くらいの対談なのですが、それを読んだ感想としては、「おいおい・・・」と思ったのが正直なところでした。ドゥルーズとかランシエールとかバディウとかフーコーとかなんか「現代思想」な名前が宝石箱をひっくり返したようにちりばめられていて、「ニートやフリーター」はこういうのを理解できる人種なのか、「んなわけねーだろ!!」とツッコミを入れたくなりました。あるいは彼らにとっての「ニートやフリーター」は、すくなくとも絶対に高卒や専門学校卒業ではなくて、それなりの大学の文学系の学部にいて思想書なんかを読んできていて、でいまはフリーターかニートをやってる人、というきわめて限定された人々のことをさすのかもしれません。そんなやつ、何人くらいいるんだ?まあ知り合いにはいますが・・・

雑誌を買おうと思ったのは、なんだかこのなんにちか眠たくて、これはちょっと「いま」の空気に触れてみようとおもったからで、「ニートやフリーター」の「いま」に根差してそこから沸き上がってくるような語り口をもった思想を狙った雑誌だと思われたVOLを買ってみたのでした。具体的には、「いまこういうことが起こっている」とか「自分には何ができる」みたいのをたんなる事実の紹介やパッション溢れるキャッチフレーズによってではなくて、それなりに思想へとつながっていくような回路をもって現実を提示してくれるような雑誌を期待していたわけです。簡単にいえば、「そわそわ」したかった。

でも、なんだこれは。若手インテリ左翼の知識披露としか思えんぞ。最初の対談につづく二つの記事もなんだか難しそうな翻訳だし、どうなってるんだ。後ろの方の記事は少しおもむきも違うのかもしれないけど、とにかく入り口にこんなのを置く見識を疑います。

大事なのは、「ラディカル」な思想家や、「ラディカル」なキャッチフレーズじゃなくて、語り口ですよ、語り口。猿でもわかるように噛み砕く宮台真司の文章を見習うべきです。内容は置いといて、なによりも語り口が大事だということはしっかりとわかってます。こんなんじゃ「左翼」は馬鹿にされるぞよ。

と、何がいいたかったかというと、「右翼」の大川周明から「左翼」のジャーゴンへと素早く振動するその隙に、VOLとあわせてダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』を購入したということです。黒澤明の『七人の侍』とオーソン・ウェルズの『市民ケーン』にはさんでAVを借りるようなもんですな。