『ホテル・ルワンダ』にまつわる派生的なことがらについて書いたわけですが、じゃあ『ホテル・ルワンダ』自体はどうなのかも問われます。なので、ちょっと恥ずかしいですが、しばらく前に別のところで書いた『ホテル・ルワンダ』についての感想をアップします。これを書いたのはシアターNでの『ホテル・ルワンダ』公開二日目、1月15日だったはずです。

これを書いた時には、なんだかやたら純粋に『ホテル・ルワンダ』という映画を色んな人に紹介したいと思ったのですが、その点から言えば町山さんに端を発した「論争」は、まちがいなく『ホテル・ルワンダ』の観客を増やしたという点で大きな貢献をしたわけで、まあその限りでは良かったのではないでしょうか、身もふたもないですが。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

今日は『ホテル・ルワンダ』を観るぞーと始めから決めて家を出ました。

ホテル・ルワンダ』の舞台は、タイトルにある通りアフリカ中部にあるルワンダです。1994年の四月中頃、フツ族の大統領の暗殺が直接の引き金となり、ルワンダを二分する民族の一方である多数派フツ族による、他方の少数派ツチ族の大量虐殺が始まりました。それは計画的かつ情け容赦ないもので、「民族浄化」という言葉はこのとき作られたそうです。そしてそのさなか、ある高級ホテルの支配人(フツ族)が大量のツチ族の人たちを自身のホテルに匿い辛うじて助け出したという事があり、それがこの『ホテル・ルワンダ』の題材です。フツ族ツチ族の関係や、その対立の政治的背景、また虐殺の遂行がきわめて計画的であり、その計画が事前に国連側に察知されていたにもかかわらず何ら対抗策がたてられなかったということについて、次のサイトがざっとまとめています。
http://c-cross.cside2.com/html/bp0ri001.htm
ちなみに、このルワンダでの大量虐殺を無策に眺めることしかできなかったということが国連軍のトラウマとなり、それから国連は介入主義へと議論が傾いていったのだ、と聞いた記憶があります。

この『ホテル・ルワンダ』、2004年度のアカデミー賞の主要3部門にノミネートされたようなのですが、題材が重いため、町山智浩氏によると映画が「セックスの前戯でしかない」日本ではまったく公開の予定がなく、そのためネット上で『ホテル・ルワンダ』の上映を求める署名運動が活発に進められ、それに後押しされる形でついに公開が決まり、今年の1月14日、つまり昨日(一昨日か)、シアターN(旧ユーロスペース)で公開が始まったのでした。署名活動をすすめていた応援サイトがここ↓にあります。
http://rwanda.hp.infoseek.co.jp/

僕がこの映画のことを知ったのは町山智浩氏のブログにおいてでした。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/
そこで「『ホテル・ルワンダ』上映に向けての署名のお願い」といった文章を読んだのはいつのことだったか。ずいぶん前のことです。しかしそのときはそのまま素通りしてしまったのでした。それからしばらく経って、『ホテル・ルワンダ』の上映が決まったことを知り、「ああ、決まったんだ」と軽く思ったことを覚えています。これは比較的最近のことです。そして、最近はまってるTBSラジオポッドキャスティングの「コラムの花道」コーナー年末企画で、昔に放送されたコラムがネット上にあげられて聴けるようになっていて、そこで町山氏による『ホテル・ルワンダ』の熱のこもった紹介を聴いたのでした。
http://tbs954.cocolog-nifty.com/954/2005/12/index.html
いまでも聴けるので、興味のある人はぜひ聴いてみてください。ほかのコラムもとても面白いです。

本当は、書きたいことが山ほどありました。昨日の日記みたいにいろんなことを書きなぐりたい気分でした。でも、それよりもむしろ、この『ホテル・ルワンダ』という映画を一人でも多くの人に観てほしいと思い、こういうありきたりな紹介文を書きました。興味のある方は、ぜひ観てみてください。これが映画の公式サイトです。
http://www.hotelrwanda.jp/


映画の公開の見通しが立っていない頃、なんとかして公開の筋道を立てようとパブリシティーの方法を考えていた配給会社の人は、実話に基づいた感動の家族愛の物語、という図式を考えていたそうです。しかし、これはどう考えても無理がある。そんな生易しいものではないわけです。映画の公式サイトをみてみると「家族愛」といった図式は使われていませんが、実話に基づいた奇跡の救出の物語、といったプレゼンテーションがなされています。もちろんそのような選択がなされるのは致し方ありませんが、やはり映画の実情にはまったく沿っていません。そんな生易しいものではないわけです。

人々を救ったヒーロー、こういう図式はおそらく、平穏な社会に訪れた不意の災難から人々を救ったときにのみ可能となる。映画を観終わったあと物販で買った『ジェノサイドの丘』というルワンダの虐殺をめぐるルポルタージュの中に、たまたま生き残ったローラン・ヌコンゴリというツチ族の弁護士の言葉が載っています。「まるっきりかけねなしに、自分がなぜ生きているのかさっぱりわからない」。1994年の4月6日にフツ族ルワンダ大統領ハビャリマナが暗殺されてからすぐに組織的な大量虐殺が開始され、それからほぼ百日の間におよそ80万人のツチ族のひとたちが殺害されました。ツチ族であるということだけで殺されることが当たり前であり、そこでは死はなんら偶然の到来物ではなく、むしろ生き残ることの方がまったくわけのわからない偶然事だったのだと生き残った人は語っています。そんな空間では、状況をたったひとりで打開するヒーローなどそもそも存在しえないのです。猛り狂う暴力の奔流の中で、運命のほんの気まぐれなあやがミル・コリン・ホテルの支配人ポールに目配せし、そしてポールが奇跡的にその目配せに応えることができた、ということなのだと思います。それさえあれば虐殺という悲劇を回避できたであろうマッチョなヒーローの精神性、観客を安堵させるそんなよりどころはどこにも存在しないわけです。

だからひたすらに疚しくなる。ルワンダでの虐殺は12年ほど前の出来事で、そのとき僕は何をしていたろうか。1994年の4月。中学二年か三年の僕は、スーパーファミコンかマンガかオナニーか、それらのどれかに耽っていたとみて間違いないだろう。それでいながら虐殺がとうに終わったいま現在、映画館の柔らかい座席に座ってスクリーンをみつめる。なによりこの懸隔が疚しいし、そしてスクリーンに展開されるのはもちろん事実そのものではなく、さらに情報が物語にまとめられてもいるという、その選別の介在がどうにも疚しい。つまりは、その場に自分が立っていないことが疚しくて仕方なくなるのです。

虐殺の始まる前から、ルワンダには国連軍が駐留していましたし、また先進諸国の諸メデイアもいました。それゆえ無法な暴力行為など起こりえないだろうとポールは楽観的に構えてもいたのです。しかし虐殺は現に開始され、国連軍もメディアもまったく無力でした。ジャーナリストの一人は言います。虐殺映像がたとえ世界中で流されたとしても、視聴者たちは「まあ怖い」つぶやき、それからすぐにわすれてディナーに取りかかっておしまいだ。その通りだ。しばらく前、フランス語を練習しようとフランス語のニュース記事をいろいろ読もうとしていたとき、スーダンダルフールに関するヘッドラインを何度も目にした記憶があります。が、ぼくはなんとなく面白くなさそうだなあと感じてその記事は読まず別の記事を読んでいたのでした。そのときにも、アラブ民兵による黒人の虐殺が行われていたのです。それから国連軍。虐殺を止めてはくれないのかとつめよるポールに対し、国連軍のリーダーは言います。我々は維持するための軍であって介入するためにいるのではない。そしてそのすぐ近くでは、数えきれないほどのツチ族の人たちが虐殺されているのでした。

白人が多く泊まる四つ星ホテルであるミル・コリンはさしあたり安全でしたが、それがいつまで続くかもわからず、一刻もはやく国連による介入がはいり虐殺を止めてくれることが待望されていました。そして、ついに軍が到着し一同は歓喜しました。が、彼らは取り残された外国人たち(ほぼ白人)を救出に来ただけで進行する虐殺には介入せず、そのまま立ち去っていくのでした。次々のバスに乗り込む外国人たち。激しく降りしきる雨。フツ族による虐殺場面を撮影し世界に配信したジャーナリストも、ホテルを出てバスに向かいます。傘をさしジャーナリストを雨から守ろうとする黒人のドアマンに向かって彼はいいます。頼むから傘をささないでくれ。自分が恥ずかしくて仕方ない。彼もまた、疚しくて仕方ないわけです。

主人公はホテルの支配人ポールだが、観客の立場は明らかにこのみずからを恥じるジャーナリストと同じところにあります。現実の惨状を知ってしまっていながら、所詮は外部の観察者でしかない。そこで、疚しさが共有される。僕は国連軍が撤退していく場面をみて、とっさにいっそのこと世界が存在しなければいいのに、と感じたのでした。むろん、疚しさに耐えられなくなったがゆえの空想です。

第二次大戦中のナチスによる強制収容所での大量殺戮は、ときに「最終的解決」と呼ばれます。それは純化や浄化といった、他者性の排除を完遂しようとする試みの極限を名指すものです。しかし翻って考えるならば、「いっそのこと世界が存在しなければいいのに」という発想は明らかに「最終的解決」にきわめて近い。それは純化や浄化という言葉がぴったりと当てはまる空想です。人間はルワンダにおけるような虐殺を可能としてしまうという事実もまた、できることなら存在しないことにしてしまいたい人間の他者性なのでしょう。存在しないことにすれば考えなくてすみます。もし、「最終的解決」に対称される「現実的解決」というものがあるとすれば、ルワンダでの出来事をなかったことにすることなく、そしてまた「野蛮人の殺し合い」といったようなどこか遠くの宇宙での出来事にすることもなく、どこにおいても起きうるものとして受け止めることから出発するしかないのでしょう。

映画を観る前にたまたま読んでいた本の中でボスニア紛争の話が触れられていました。そこでは、まぎれもなく因果的で責任の発生する政治的な紛争の諸関係が、先進諸国によって「野蛮な部族同士の諍い」へと翻訳されることで政治的問題から人道的問題へとすり替えられるということが起こった、ということが書かれていました。身近で起こった諍い、あるいは理性をもっているとされる先進諸国で起こった諍いならば、その諍いがどのような経過をへて生じたものであり、それぞれの関与者がそれぞれどのような責任を有しているのかということを明らかにしていこうとします。それは当然の想像力だとされます。しかしどこか遠くで起こった諍いの場合そのような想像力はまったく働かず、どちらも愚かな「野蛮人同士の諍い」として単に把握され、もしその「諍い」が人道的に問題のある結果をもたらしているのなら、責任諸関係は棚上げにして人道的配慮だけを向ける。つまり、野蛮人にはそもそも政治など存在しないというわけです。

こうした眼差しの傲慢はあらゆる場面でおそらく見出されうるもので、その対象がもしなんらかの偏見の浸透した存在であるならば、その傲慢はさらに激しくなります。たとえば、アフリカの黒人という対象。先入観というのはその字が示すようにはっきりとは意識されることなく知らず知らずに自分の認識を色付けるものです。ルワンダでの虐殺の報に接したとき、先進諸国の多くの人たちは、例の傲慢な眼差しでその報を解釈したのではないでしょうか。すくなくとも、ルワンダにおける虐殺に対する先進諸国の反応はそのことを証立てているように思えます。出来事が生じるに至る過程に対する政治的な想像力は始めから麻痺し、暗黙のうちに「野蛮人が殺し合っている」という認識を共有していたのではないでしょうか。ここには、一種の「オリエンタリズム」が現れているのでしょう。

昨日に引き続いて長々と書いてしまいました。映画を簡潔に紹介するだけで止めようと思っていたのですが、最後にちょっとだけ感想を付けようと思ったのが失敗で、この体たらくです。

とにかく、興味のある方はぜひ、『ホテル・ルワンダ』を観てみてください。