ブレヒトと二人のアドルフ

三月に知り合いが入っているKAZEという劇団で上演されたブレヒトの『第三帝国の恐怖と悲惨』という芝居を見て、毎回見たあとには感想を書いているのですが今回はいろいろ忙しくて放置していたところを、このままではよろしくないということでさっき感想を書きました。せっかく書いたのでここにも貼ることにします。
芝居については↓参照。
http://www.kaze-net.org/repertorie/2007/2007_daisan.html

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 おおよそ歴史というものには主役がいて、つまりは責任者がいるということになっている。むろん混沌の瞬間はある。そこでは善悪の基準がすっかりとぼやけ、世界の方向性そのものが失われつつあるかのように現われる。そしていうまでもなく戦争というものこそ、そのような混沌の瞬間を出現させる契機である。ただしそのような混沌の瞬間も、勝者と敗者の線引きという形での決着が付けられると事後的に手が加えられ、責任者が召喚されヒーローが祭り上げられ、結局のところはちゃんと歴史の一部として集団的な記憶に書き込まれることになる。とすれば戦争がもたらす混沌というのは、歴史が更新されていくに際しての一時的な挿話というものでしかないのだろうか。おそらくほとんどの場合はそうであるのだろう。しかし、例外はある。

 この例外は、歴史における例外を意味すると同時に例外的な戦争の存在をも意味する。言いかえれば、ある例外的な戦争の存在が、歴史のロジックをはずれる歴史の例外というものを浮き上がらせる。結論から言ってしまおう。その例外的な戦争とはあの第二次世界大戦、より限定すればアウシュヴィッツホロコーストであり、だとすればそれによって生み出された歴史の例外からわれわれがすでに抜け出せているのかどうかという点については、いまだ検討に値する問題である。

 ところでブレヒトが『第三帝国の恐怖と悲惨』において焦点を当てているのが、ほかならぬこの例外的な戦争が歴史の例外としてつきつけてくるものであり、そしてKAZEによる2007年という現在におけるその上演は、そこでつきつけられているものからわれわれが安全であるという日常的な信念を根本から突き崩すものとなっている。そのことを示すには、一見すると目立たないごくごくささやかな一景を喚起するだけで十分である。
 マンションの一室で男が妻といましがた起こった出来事について話し合っている。男は隣人のユダヤ人の大家族に他愛のない不満を抱いていた。子供たちが騒いでうるさいし、それに窓からハーケンクロイツの旗を掲げてないじゃないか。男はその不満の捌け口として、旗の一件を警察に密告した。すると秘密警察がやってきてとなりの一家をしょっぴいていった。男は言う。旗を掲げていないんだから仕方ないことだが、しかし、服まで破らなくたっていいじゃないか。

 「服まで破らなくたっていいじゃないか。」男のこの表面的には良識的な呟きはしかし、そのとき連れていかれたユダヤ人たちが辿ることになる運命を思い返せば戦慄を呼びさまさずにはおかない。そこで惹起される戦慄の強烈さは、さしあたりある「やり場のなさ」という言葉で表現できるのかもしれない。ただし、ここで問題なのはその「やり場のなさ」のきわめて特殊な性格である。そこには、ほとんど異様と言っていいほどの「やり場のなさ」が見出されるのだ。

 もっとも皮相的な解釈を試みるとすれば、男の「良識的な」呟きを一種の否認として受け取るという発想が考えられる。男は「自分のしたこと」の意味を知っているのだが、その重大さを引き受けることができないがゆえに「良識的な」呟きを繰り出すことで自分の良心を辛うじて慰めているのだ、と。しかしこの捉え方は、件の場面の決定的な「やり場のなさ」の本質的性格を完全に見落としてしまう。重要であるのは次の点だ。すなわち、あの男が「自分のしたこと」の意味をまったく理解していないという点こそが、あの場面においてなによりも本質的な点であるのだ。
 男は「自分のしたこと」が歴史的に何を意味するかについては完全に無知のままに、その小市民的な良心を痛めてみせる。その身振りはほとんど滑稽と言えるほどであるのだが、その滑稽さが結果としていかなる歴史的帰結と結びついたのかを思い返すとき、そこに生まれるのがあの「やり場のなさ」である、ととりあえずは言える。『第三帝国』が舞台の上で繰り広げてみせるのは、ほかにもいくつかのファクターは見られるにせよ、なによりもこのような「やり場のなさ」である。

 ところでアウシュヴィッツという固有名は、ともにアドルフという名をもつ二つの固有名と強く結びついている。アドルフ・ヒトラーと、アドルフ・アイヒマンである。アウシュヴィッツにおけるこれらの二人の「責任者」は、しかしきわめて対照的な位置を歴史において、というよりもむしろ歴史に対して占めている。

 ナチスとその蛮行は、なによりもまずはヒトラーという名に罪を着せられる。時代がヒトラーを呼び求めそして彼を権力の座に招き寄せたにせよ、しかしその時代の呼び掛けに応答しそれに応えるというのがもとより「歴史の主役」の役割であり、その意味でヒトラーはまさしく歴史的人物であった。そして通常歴史の混沌は、それぞれの歴史的人物に集約されその死とともに区切りを付けられる。だとすればわれわれは、ヒトラーの責任においてアウシュヴィッツを「終わらせる」ことができるのだろうか。しかしアウシュヴィッツという「出来事」を理解するためには、ヒトラーの名だけでは明らかに不十分である。そこでは同時にアイヒマンの名もまた考慮されなければならない。

 アウシュヴィッツでの殺戮を実行する立場にあったアイヒマンは、終戦後、戦犯裁判から逃亡しアルゼンチンに逃れ、1961年にイスラエル諜報機関モサドによって発見され即座にエルサレムで裁判にかけられた。人道に対する犯罪など15の罪に問われたアイヒマンは死刑を宣告されることになるのだが、その裁判を傍聴したユダヤ系の思想家ハンナ・アレントが被告席に立つアイヒマンを次の言葉で表現したことはよく知られている。「悪の凡庸さ」、アレントはこの言葉でもって、「自分は命令に従っただけだ」という弁明を繰り返すアイヒマンの姿を形容したのだった。アレントがそこで衝撃を受けたのは、アウシュヴィッツという「出来事」のあまりもの巨大さと、その「出来事」に対して中心的な責任を担っているはずのアイヒマンのあまりもの卑小さとのギャップに対してであった。アレントがそこで受けた衝撃の性格を、ここでは「やり場のなさ」と呼ぶことにする。

 「服まで破らなくたっていいじゃないか」と呟いていたあの男のことを思い出そう。この男の示す滑稽さは、どこからどうみてもアウシュヴィッツという「出来事」をほんのわずかたりとも背負えるようなものではない。その姿は、アウシュヴィッツからはほとんど無関係とでも言ってしまいたくなるような卑小さを示している。しかし実際には、まさにそのような滑稽さの集団的な積み重ねが最終的にはアウシュヴィッツを生み出したのであり、そこにこそあの「やり場のなさ」が深刻な戦慄を呼びおこさずにはおかないということの理由がある。そしていうまでもなく、そこに見られる事態を端的に表現するのがアイヒマンという名である。

 ここには、実は歴史というものそのもののあり方が賭けられている。あの小市民的な男は、「自分のしたこと」について完全に無知であった。そこで彼が「したこと」というのはアウュヴィッツという歴史的スケールにつながるものであるのだが、男の卑小さはけっしてそのような歴史的スケールの出来事を背負えるものではない。ただここに見られる事態そのものは、いうまでもなく普遍的なものである。トルストイが『戦争と平和』で繰り返し持ち出していた比喩にならえば、歴史的事件とはすこしずつ削り取られていった山が崩れ落ちるようなものであり、そこにモメンタルなエージェントとしての歴史的人物というものが見出されるのだとしても、彼/彼女は「たまたま」直接の引き金を引くことになったというだけのことである。しかし歴史にとって重要であるのは、実際にはどうであれ、歴史の進展がさまざまな主役たちによって織りなされていると信じられるということである。そして冒頭に述べたように、おおよそ歴史というものには主役がいて、それゆえ責任者がいるということになっているのだ。ところでアウシュヴィッツに関しては、もはやそのような牧歌的な歴史を語ることは困難である。

 アウシュヴィッツホロコーストというのは史上はじめて産業的な手法によって大殺戮がなされた事例である。そのエートスをなすのは恐怖や熱狂ではなく合理性と効率性である。そうでなければ、あれほどの規模の大殺戮が遂行されるということは不可能であった。そしてここにこそ、あのアイヒマンが出現するための舞台が存在したのだろう。凶悪さでも狂気でもなく、盲目的に命令に従うというその「凡庸さ」こそが、あの大殺戮の具体的な牽引力となったのだ。

 ヒトラーの名が、アウシュヴィッツにケリを付けるためにけっして十分でない理由もまたここにある。ヒトラーの狂気は、アウュヴィッツを遂行した合理性も効率性も説明してくれないし、またそれに従事した多くのひとびとの「凡庸さ」も説明してくれない。それゆえそこにはアイヒマンの名が召喚されなければならないのだが、しかし決定的なことは、アイヒマンの名はなに一つケリを付けてはくれない、ということである。というのもアレントが衝撃を受けたように、アイヒマンの「凡庸さ」のどこを探しても歴史の責任者を見出すことはできないからだ。そこに見られるのはただただ「やり場のない」戦慄すべき滑稽さのみである。

 それゆえアウシュヴィッツを前にしてはもはや歴史を語ることは困難であるのだ。そこにはいかなる主役もおらず、それを非難することでカタルシスを覚えられるような最終的な責任者は存在しないからだ。しかしながらその困難にも関わらず、やはりわれわれは語らなければならない。それにしても、ならばいかなる語り口が可能であるのか。ブレヒトの演劇にいまだアクチュアリティーがあるのだとすれば、その理由のひとつには間違いなく、歴史がもはや困難である時代における語りの作法を示しているということが挙げられる。

 『第三帝国』の舞台にはヒトラーゲーリングゲッペルスヒムラーも出てこない。多くの短景によって組み立てられているその舞台に出てくるのは、際限なくも「凡庸な」ひとびとばかりである。そこで示されていくのはその「凡庸さ」がもつ戦慄的な滑稽さであり、だから観客はひたすら「やり場のない」思いに駆られることになる。しかもその「やり場のなさ」は、この表現が一般的にもつニュアンスを大きく逸脱して深刻なものである。

 一般的に「やり場のなさ」とは、ある光景のうちに見てとられるものである。少なくとも、自分とは別のところで起こっている事態に対して向けられる感情である。たとえそれが自分自身のところで起こっているのだとしても、「やり場のなさ」を生み出したその原因は自分自身にはない。だからそれはつねに、どこかに対する怒りや同情であったりである。しかし『第三帝国』が観客に与える「やり場のなさ」というのは、なによりも観客自身に跳ね返ってくるものである。そしてそこにこそ、ブレヒト的な語りの真骨頂がある。

 観客は『第三帝国』の舞台の上に何を見ているのか。それは歴史=物語の主役ではなく、歴史そのものについては完全に無知な、凡庸かつ滑稽なもろもろの姿である。遠くに響く歴史的な出来事の怒号が、実はみずからの振る舞いから直接につながっているということなどつゆ知らず、卑小な苦労や悩みに明け暮れる些末な人間の姿である。ところでみずからが属している歴史に関するそこで展開されている無知は、しかし、「彼ら」だけのものであろうか。かつて起こった事態を舞台上に眺めている「われわれ」自身は、自分の属している歴史の結末を知っているだろうか。進行中の歴史についての不可避の無知ゆえに、実はなにものかの進行に無邪気に加担してしまっているという滑稽さを示しているということはありえないだろうか。あとになって「自分は何も知らなかった」などと滑稽きわまりないセリフを吐くことにはならないだろうか。

 アウシュヴィッツ以降、歴史に対する責任をめぼしい主役たちに供託するという牧歌的な身振りが困難となっている現在において、上に掲げたいくつかの「自問」からわれわれは決して逃れることはできない。そしてそこで要求されているのが、たんに「知る」ことではないということがほとんど恐怖に近い感情を呼びさます。そもそも進行中の歴史について「知る」などということは不可能である。「われわれ」は自分がそこに属している歴史について致命的に「無知」であり、この条件から逃れることはできない。ブレヒトが舞台に乗せるのはその「無知」の姿であり、それゆえそれはほかならぬ「われわれ」の姿である。ブレヒトの語りがなすのはけっして特定の歴史を語ることなどではなく、その「無知」によって歴史の一体性から決定的にこぼれ落ちてしまっているその「われわれ」の姿を、ほかならぬ「われわれ」に見せつけるというだけである。そこでは「われわれ」を安心させてくれるような歴史物語は例によって中断されており、そこにこそ「われわれ」と歴史との関係性が、そしてそれゆえ歴史に対する「われわれ」のほとんど不可能とも言えるような責任が戦慄的に垣間見えることになる。

 ブレヒトが、すくなくともその『第三帝国の恐怖と悲惨』がアクチュアリティーを保ちうるのはまさにこのような理由によってであり、2007年という時点におけるKAZEによるその上演は、舞台の背景となる知識の提供という観点からやむなく歴史=物語の形式が周辺的に持ち込まれているのだとしても、まぎれもなく歴史=物語を宙吊りにするあのブレヒト的な戦慄のうちに観客を巻き込んでいたように思う。