メディア

ももいろクローバーZ『5th Dimension』の反時代性

ずいぶん久しぶりの更新で、なぜか4月10日に発売されたももいろクローバーZのニューアルバム『5th Dimension』ついて書くことになりました。なにとぞご容赦ください。 前段:音楽コンテンツの売れない時代 この記事では、ももクロのニューアルバム『5th Dime…

「大文字の他者」へのメッセンジャーとしての「マスコミ」

情報経路の多様化、などということはかなり前に言われていて、新聞やテレビといったいわゆる「マスコミ」の存在感はかつてに比べてばずっと小さくなっている、というのは疑いようのない事実だと思います。経営的に見ても、広告費の全体においてネット広告の…

「アーキテクチャ」と「プラットフォーム」――コミュニケーション的接触についての考察

書こうと思っているテーマがいくつかありながら、わかりやすく書くのが難しくうっちゃっているうちに、ずいぶん間隔が空いてしまいました。今回は「プラットフォーム」という言葉をめぐってちょっと書いてみようと思っているのですが、このテーマについても…

twitterとアテンション・キャピタル

有限なものがあるところには、必ずエコノミーがあります。たとえば鉱物資源であれば、埋蔵量も、発掘に必要な資本(生産資本や労働資本)も、流通システムが許容する流通量も、精製能力も有限であり、さまざまな配分=エコノミーがそこに生じることになりま…

動画コンテンツとコミュニケーション ――テレビからニコニコ動画へ

このところ、メディアとコミュニケーションの関係について色々書いてみているのですが、またその続きです。今回は、動画コンテンツとコミュニケーション、といったより限定的なトピックについて考察してみたいと思います。メディアとコミュニケーションに関…

twitterは詩壇の裏をかいたのか

高橋源一郎氏のtweetによって、詩壇(というのでしょうか?)である悶着が生じていることを知りました。その悶着の発端がtwitterにあったため、その直前にtwitterへの考察ということをしてみたこともあり、twitterについて、より正確にはそこで可能となるメ…

マスメディアとマスコミュニケーション――twitterについて考える 

最近、twitterなるものにちゃんとコミットしてみようと思い始めているのですが(アカウント自体はかなり以前から取得していました)、同時に、twitterというツールについても考察してみたい、という欲望も日に日に増してきています。少し前の記事でtwitterに…

一つのメディア体験――「激笑 裏マスメディア〜テレビ・新聞の過去〜」

今週の月曜日の夜10時、NHKで放送記念日特集というものが放送されていましたが、その裏では、Ustreamをつかったツッコミ番組「激笑 裏マスメディア〜テレビ・新聞の過去〜」が流されていました。詳細については“革命的Ustream放送”「激笑 裏マスメディア〜テ…

チベット問題について、仏教者からの発言

関西のローカル番組「ぶったま!」のなかで、天台宗の有力寺院、書寫山圓教寺の執事長である大樹玄承氏が、チベット問題について仏教者として声明を出したらしいです。 この声明は、もともとは「ぶったま!」でコーナーを担当している青山繁晴氏のブログへの…

さっき駅のキオスクで、「小泉劇場の終焉」というような夕刊紙の煽り文句を読みました。 例の、千葉補選での民主党の勝利についてでしょう。 ただ、僕はそもそも「小泉劇場」という言葉が胡散臭くて嫌いで、その胡散臭さは「小泉劇場の終焉」という文言に現れ…

インターネット上では莫大な情報が現れては跡形もなく消えていく、というような印象がありますが、実はキャッシュとかいうのが残っていたりして、消したはずの情報がいつのまにやら出回っている、ということがよくあるようです。ブログ界(ブロゴスフィア?…

いつわりの よになかりせば いかばかり ひとのことのは うれしからましこれは松永英明氏が「絵文録ことのは」を立ち上げた際にかかげたものらしいです。氏をめぐる状況がどのようになっていくのか、また氏の「実態」がどうであるのかについてはわかりません…