事実への準拠ということ

NakanishiBさんという方から再びトラックバックをいただきました(http://d.hatena.ne.jp/NakanishiB/20070305参照)。ほぼ一年ほど前に、『ホテル・ルワンダ』という映画に寄せられた町山智浩氏のパンフレットを巡っての、関東大震災における「朝鮮人大虐殺」に対するid:finalvent氏のある種の懐疑的姿勢に関してこのブログでもすこし議論になりました。NakanishiBさんはその議論で扱われていた問題を取り上げています。自分のところだけでもそれなりに混み入っていた話であり、さらにそこにfinalvent氏を含む多くの登場人物がなんらかの形で関係してくるので、そこでの問題の正確な地図を再現する、というのはちょっと難しいところではあります。ということで、ここでは僕のなかではどのような問題設定があり、またそこでの諸子がその問題設定に対してどのような位置にあったのか、ということをあくまでも自分の視点から、可能な限り簡略化してひとまずまとめてみたいと思っています。

まず、僕の基本的な問題意識は、「歴史認識」を巡るコミュニケーションは可能な限り「事実」に準拠して展開されていくべきである、というもので、その発想はいまでも変わっていません。そして、finalvent氏がある独特の論理に依拠して「朝鮮人大虐殺」に対して否定的な記事を書いた際に、その自分の発想を表明したのでした。しかしこれはかなり微妙な問題なので、まずfinalvent氏が用いた「独特の論理」を振り返ることにします。

僕の記憶によれば、finalvent氏は「朝鮮人が虐殺された」という事実を否定していたのではなく、「「朝鮮人」が「朝鮮人」として、すなわちまさしく「朝鮮人」であるという理由で虐殺された」ということに対して、異を唱えていたのでした。その主張は、主に二つの仮説にわけることができるように思います。その一「当時は、朝鮮人は東京に住んでいたさまざまな「異者」のうちの一種であり、とくに特権的にスティグマを貼られた存在ではなかった。」。その二、「関東大震災という異常時の混乱によってさまざまな「異者」が虐殺され、そのなかに「朝鮮人」も含まれていた」。finalvent氏における「朝鮮人大虐殺」に関する「事実関係」の認識は、おおよそこのようなものだったと僕は理解しました。

朝鮮人大虐殺」というと、ほかならぬ「朝鮮人」が、選別的かつ計画的に虐殺された事件、として理解されていると思います。すくなくとも僕はそのように理解していました。しかしfinalvent氏の「事実認識」は、その「選別性」と「計画性」に関しては明確に異を唱えるものです。これは、「事実認識」に関する氏のコミットメントである、ということができると思います。

さて、finalvent氏は「朝鮮人大虐殺」に関する「事実認識」においてのコミットメントに加え、別のメタ視線からの意見も同時に述べていた気がします。それは、個々の「歴史的事例」に関しては、まずはそのそれぞれの固有性に即して把握するべきだ、というものです。そしてその主張は、そうした把握が結果的に「歴史から学ぶ」ということを可能にするのだ、という結論につながっていきます。このメタな視点が、「朝鮮人大虐殺」に関する氏の「事実認識」につながっていくことになります。氏の「事実認識」によれば、「朝鮮人大虐殺」が「選別的」かつ「計画的」なものとして理解されているのは、のちの時代における「朝鮮人」の日本における位置づけが事後的に過去に投影されているからにすぎない、ということになりますが、だとすれば、その発想は「歴史的事例」の固有性を被い隠してしまう、と氏は判断します。

このfinalvent氏について僕がどう思ったか。まず、ここで要約されたfinalvent氏の主張は二つの部分にわけることができると思います。
1、「歴史的事例」は個々の固有性に即して把握すべきだという一般論
2、「大虐殺」において「朝鮮人」は選別的かつ計画的に虐殺されたのではないという「事実認識
この二つの主張のうち、前者に関しては僕は賛同しますが、後者に関しては僕には判断ができませんでした。というのも、僕の知識というのが学校で教わった範囲でしかないというのもありますが、当時の「朝鮮人」を巡る状況について想像したことがなかったからです。より具体的にいえば、「朝鮮人」が「琉球人」や「共産主義者」といったもろもろの「異者」といったより大きなカテゴリーに入る、という可能性についてまったく考えたことがなかった、ということです。それゆえ、finalvent氏による「事実認識」に関する主張については判断の下しようがありませんでした。で、僕は「実際にどうであるか」については判断できないにしろ、「「歴史的事例」は個々の固有性に即して把握すべきだ」という氏の主張には賛同するという旨のことを書いたつもりでした。書き方のまずさもあり、その結果として僕がfinalvent氏の「事実認識」も共有していると誤解されたような面があった、ということがそのあとのやり取りを難しくした感があった気がします。

で、その後いくつかのやり取りをしたのですが、というか実はその前段もちょっとあったのですがそれは置いといて、僕がとても当惑したのは、「実際にはどうであったのか?」という風な問題設定をすると、その時点で「歴史修正主義」というレッテルを貼られてしまう、という印象を覚えたことでした。確かに「事実関係」関する僕の知識は圧倒的に欠如しており、それゆえfinalvent氏の「仮説」に対してもどうにも判断することができなかったのですが、しかし僕としては、その「仮説」に対して異論が挟まれるのであれば、「事実認識」に即した反論であるべき、ということは当然であるように思えました。より具体的には、「朝鮮人の選別的計画的な虐殺が生まれるような、「朝鮮人」にスティグマを与える具体的構造は存在しなかった」というfinalvent氏の「仮説」に対しては、「いやいや、こういう資料から、そういった具体的構造が存在していた蓋然性は十分にある」という反論が向けられるべきだろう、ということです。

たしかに、際限なく「事実はどうであったのか?」という些細なところにまで踏み込んで政治的あるいは倫理的判断を引き延ばしにすることに対する警戒感というのは理解できます。ただ、原則としてはやはり「事実はどうであったのか?」ということに関する検証を避けることはできないと思います。長くならないようにここで結論を言ってしまえば、そういった「事実認識」に準拠する必要があるのは、「語用論的リアリズム」の観点からしてより広く共通了解を打ち立てる基盤になりうるのが、ある検証的なプロセスを通して生み出される「事実認識」であるのではないか、と僕が判断しているからです。

むろん、「事実」というのは、実際には多様な解釈を通して生み出されていくものですが、しかし理念としての「事実」を擬似的にでも設定し、そしてその「理念」としての「事実」の取り扱いを妥当にするような議論の手続きを作り上げないかぎり、「コミュニケーションの不確実性」は増していくばかりであると思います。ここしばらくで僕が触れたかぎりでは、「南京事件」や「慰安婦問題」に関しては、心ある人においては「事実」に準拠するということは当然の前提になっているように思いました。僕が「語用論的リアリズム」について述べたのは、その前提を共有した上で、さらにそれを「どのように語るか」という問題も重要であるだろう、ということを付け加えるためでした。しかしそんな当たり前なことを、具体的な議論にとくにコミットしているわけでもない人間が述べる、ということ自体が「語用論的リアリズム」という観点からいって適切ではなかった、あるいは反感を招いても仕方なかった、ということはいまさらながら反省しています。

なお、NakanishiBさんは

語用論的リアリズムについて語るvoleurknknさんは、無自覚に「コミットメント」なき純粋な言説空間を志向しているように私には思えます。

と書かれていますが、これについては僕は基本的には反論しません。前回の記事の構成を見てもらえばわかると思いますが、「語用論的リアリズム」に関する認識そのものは、「慰安婦問題」とはまったく関係のない次元で、理性的な推論を働かせればだれにでも了解できる事態、として考察しました。強いて言えば、ここでは「理性的」ということを一種の「純粋な言説空間」として設定し、そこでは「非理性的」という要素は排除されてしまうのですが、このことについては僕はそれほど無自覚ではない、ということはささやかながら反論したいと思います。

またNakanishiBさんは次のようにも書かれています。

ただ、私とvoleurknknさんが他者であるという前提と同時に、両者は同質であり、「われわれ」であるということも前提としてあるわけです、「語用論」などという言葉が通じること自体それを示しています。

これについては僕はまったく反論しません。僕はNakanishiBさんが、基本的には「理性的」であることを信じていますし、そこでは「理性のわれわれ」ということがすでに成立していると思います。ただそのことは、言葉の問題を省けば、たとえば中国や韓国の人、さらには理性的に推論することを教育されている世界中の人々にも当てはまります。「語用論的リアリズム」に関して述べた部分は、それぞれの言葉に翻訳すれば基本的には多くの人に了解されるものであるだろうし、そこではより広い「理性のわれわれ」が成立していると思います。そして僕はこの「理性のわれわれ」は基本的に前提としています。

最後に。
朝鮮人大虐殺」についてはその後、明治から昭和にかけての反骨のジャーナリスト、宮武外骨が震災直後の東京を自分の足で取材して回り、「朝鮮人大虐殺」について、それをまさに「朝鮮人」に対する虐殺として書き残していることを知りました。具体的な文面をいま確認することはできませんが、「朝鮮人」というのがその当時においてもある程度スティグマを貼られた存在であったのだな、ということを僕はその文章から読み取りました。これはまだ「弱い」ものではありますが、僕のなかではfinalvent氏の「歴史認識」に関してなんらかの反証材料になるのではないか、という風に感じました。しかしいずれにせよ、具体的な証拠、証言、文書などを通して、「事実」に定位したやりとりが展開されるべきだ、という考えは以前とまったく変わっていません。それゆえ、どんな態度においてであれ「実際はどうであったのか?」と問う人間に対して「歴史修正主義」というレッテルを貼る姿勢については賛同しません。いろいろに歴史のある言葉なのかもしれませんが、ぼくにとって「歴史修正主義」という言葉が違和感なくつかえるのは、「事実」という理念を無視する人間に対してのみです。