樹が切られる

写真の樹は西荻窪にあるもので、樹齢は推定200年以上だそうです。この樹が今、マンション建設のために伐採の危機にある、ということを少し前に聞き、あわせて署名も頼まれたので、おばあちゃんの分とあわせて二人分、署名を送ったのでした。

現在、有志の人たちがホームページを立ち上げたりして、なんとか樹が切られないようにといろいろ運動しているようで、署名を集めたり、新聞社からの取材を受けたり、区長と面会したりしていることがホームページで報告されています。

ホームページは↓
http://www.gut.co.jp/totoro/ 「トトロの樹」保護のホームページ

しかしこれらの努力にもかかわらず、次のゴールデンウィークあたりに樹が切られてしまう予定であるという話が伝わってきているとのことです。

なんとも悲しい話です。

どうにかならないのだろうかと思うのですが、自分に何ができるか、そして同じくどうにかしたいと思うかもしれない他の人たちに何を提案すればいいのか、よくわかりません。とりあえず、なにか感じるところのある人で、そう遠くないところに住んでいる方は、一度この樹を見に行ってみるというのはどうでしょうか?だからどうなるのかはわかりませんが。署名についても、様式をダウンロードできるので、思うところのある人はぜひ。

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なにか残念で悲しいことが起こりつつあり、そしてその現実に対して自分が無力であるとき。もちろん動きを起こすことは可能で、今回の件では住民有志がさまざまな活動を行なっており、またささやかながら署名をする人もいる。しかしそれでも、現に起こりつつあることを変えるのはしばしば難しかったりします。こういうとき、現実に対して動きを起こすことそのものに対する一種のシニシズムというか、なにか屈折した拒否反応というものがしばしば人の心に生まれがちです。もちろん自分もそれに無縁ではないと感じます。

「どうせ何も変わらないのに、そんなことをして何の意味があるのか」

この感覚、自分でもよくわかるだけに余計悲しく感じますねえ。今回、署名を送ったときにも、この感覚がどんよりとお腹の底に淀んでいました。だから、自分がほんの遠くから参加した「運動」について、考えをめぐらせずにはいられませんでした。そのときなんとなく感じていたのは、樹を救いたいのはもちろんだけれども、同時にそのために動いている「運動」そのものも何とかして「救い」たい、という思いでした。そうしてつらつらと考えているうちに、その「救い」の一つの可能性をみつけることができた気になりました。

それはごくごく単純な発想です。

「たとえ万が一樹が切られてしまうのだとしても、それがまったく何事でもないことであるかのように切られてしまうのは、あまりに悲しいじゃないか」

同じことは、人の死というものについても言える気がします。一人の人間が、誰にも看取られず、そこで失われる個人的な体験がどのようなものであるのかにもまったく興味がもたれず死んでいく場面を想像してみます。僕が思うのは、たとえその死がいずれにせよ不可避であるのだとしても、その死の傍らにはやはり、ある種の切迫や悲嘆や追憶などの情動の渦巻きがあって欲しいということです。その渦巻きによって、一人の人間の死は、その傍らにいる人の、またその死を伝え聞いた人の胸のなかに、一つの記念碑として新たな存在を確保し始める、という気がするのです。

僕は自分自身の署名について考えながら、その署名の宛て先は、樹そのものの維持であると同時に、その樹をめぐって行なわれている人びとの情動の渦巻きでもある、と気づきました。その渦巻きは、樹が維持された場合にはその樹の存在をさらに豊かにしてくれるものであるし、また万が一悲しい結果になったとしても、その樹を別の形で人びとの胸のなかに存在させるための「植樹」の作業にもなります。

もっとナイーブで擬人化した言い方をすると、200年以上も生きてきた大木に、「あなたのことを深く深く気遣っている人がたくさんいるんですよ」ということを見せてあげたい、ということです。

半年ほど前、僕の祖父が亡くなりました。危篤の報が入ったとき、僕は所要で長野にいて、すぐに東京に帰ってきました。祖父が亡くなったのはその翌日で、息を引き取るにいたるまでの数時間を、僕はその傍らで過ごしました。しばらく経ってからそのときのことを振り返りながら考えたのは、人の死の直前に語りかけられた言葉や、あるいは手をさするその感触はいったいどこにいったのだろう、ということでした。そんなことをいくら考えてももちろん答えはわかりませんが、しかしそれでもおそらく、その言葉や手の感触は、どこかに届くその手前のところで、それだけですでに意味があるのです。根拠なんて何もないにもかかわらず、この点については、まったく悩む必要を感じないというのがとても不思議です。

出来事はいったいどこで起こるのか。何かが「在る」というとき、それはどこにあるのか。さらに、あの樹はどこに存在して、そしてこれからどこで存在していくのか。もちろん、物理的にそこに存在するということがもつリアリティーは厳然としてあり、その次元で戦わなければならないことはたくさんあります。しかしおそらく、なにかが「在る」というとき、それを在らしめているのはその次元だけではありません。うまくはいえませんが、例の「言葉」や「手の感触」というものには、やはり独自のリアリティーというものがそなわっていて、この次元がなければ、そもそもなにかが「在る」ということにはまったく意味がない、という気がします。

こんなことをつらつらと考えて、僕はすくなくとも今回の樹の件に関しては、「運動」それ自体がもつ独自のリアリティーというものを信じることができるようになり、それにささやかながら参加することにまつわる屈託を霧散させることができたのでした。もちろん他の人がどう考えるかはわからないのですが。

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最初に紹介した「トトロの樹」保護のホームページ」のなかにある文章をコピペします。なにか感じるところのある人は、どうぞ他のところでもこの文章をコピペしていってくださいますようお願いいたします。

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東京都、杉並区西荻北四丁目の住宅街の一角にそびえる様に立っている一本の大ケヤキは、近隣の人々からいつの間にか「トトロの樹」と呼ばれるようになりました。樹齢は推定200年以上、枝の広さは20m四方にも及び、3本の大きな幹が根本でつながったような形をしているまさに巨木です。(余談ですが個人的には「トトロ」と同じスタジオジブリの「天空の城 ラピュタ」に出てくる大樹にも見えます。)

その大きさから、西荻窪のランドマークの一つとされ、都内のケヤキとしては有数の大きさで、区の「貴重木」として保護の対象にもなっていました。
また、西荻窪を紹介する雑誌やテレビ番組などでもたびたび紹介されていて、それらをご覧になって数多くの方が訪れる名木であり、中央線の車内からもその雄姿を望むことができるので、この界隈にお住まいではなくてもご存じの方も多いと思います。

まだ西荻に人もあまり住んでいなかった江戸時代の昔から、明治維新関東大震災、第二次大戦と様々な出来事を乗り越え、東京という都市の変遷をこの地で眺めてきた「トトロの樹」は、地域の住民にとっては、まさに守り神のような存在なのです。おちこむことがあって家路をトボトボ帰るとき、この樹を見てちょっと元気をもらったという方もいらっしゃいます。その「トトロの樹」が今、伐採の危機に瀕しています。


環境問題やエコロジー、省エネが叫ばれ、東京都や杉並区で都市の緑化計画が自治体の方針として打ち出されるにもかかわらず、相続などの理由で古くからの土地が手放され、効率化や経済性の名の下に東京のあちらこちらで緑が失われています。都市開発の一環として失った緑を増やすということも大事かもしれませんが、それ以前に今ある緑を守り育てること、そしてそれを後世に伝えることこそが重要であると考えます。



樹を守るために何ができるのか、どうすればいいのか、皆さんで考えていきたいと思います。

杉並区や東京都で何らかの保護ができないか?
建築計画の見直しを求められないか?
マンションが建設されてしまう場合に、樹を残す形での設計はできないか?

など、考えられることはいくつもありますが、それを実現させるには皆さん一人一人のお力が必要です。
署名活動等、「トトロの樹」存続のため、是非とも協力していただきたく思います。