[議論]gachapinfanさんへ

「町山/関東大震災」問題について
http://d.hatena.ne.jp/voleurknkn/20060306
のコメント欄でのgachapinfanさん(http://d.hatena.ne.jp/gachapinfan/20060309いちおートラックバック)に対する返事が長くなってしまったのでこっちに書きます。


〉gachapinfanさん
この場合の「特権的な異者」と「そうでない異者」の区別をする基準はもちろん、ルワンダでの当時の状況ですよね。ツチとフツという不均衡な二極構造があって、社会の中に沈殿した差別構造があって、そして虐殺時には相当程度に組織化されたやり方で、「ツチが」「フツを」虐殺するという図式ができていたわけです。もちろん固有な文脈は他にもたくさんあって、たとえば政府が民衆の不満をガス抜きするためにツチ差別を煽ったとか、ハム族神話と優越種の規定だとか。ただもちろんそれらを全部勘案してしまえば当時の「ツチ」とまったく同じ状況が別の時と場所で現れることはありえないわけです。この点からすれば、あらゆる類比は不当だということになります。
 では類比は差し控えなければならないのか、といえば僕はそうは思いません。ではどうするのかというと、どの部分では似ているのか、どこからは異なる

のか。ということはつまり、ある種の「類型」というか「理念型」のようなものを設定して、それを共有しているという形で類比を行うわけです。で、ルワンダの虐殺と関東大震災時の虐殺について、「同じ」、「違う」を考える際には、どのような「理念型」が用いられるのか、というのが問題になるわけです。
 最も抽象的な次元での「異者の排除」という「理念型」に関しては、「同じ」をいえると思いますし、finalvent氏もそう言っています。彼が「違う」という場合には、「異者の排除」という次元ではなく、「ツチとフツ」、「日本人と朝鮮人」というそれぞれ固有の文脈に関していっているわけです。で、ここからが難しく、正直にいって僕にも良くわかりません。この二つの例の比較という点でも、また一般的な方法論という点でも。ただ最低限まちがいないと思うのは、どのような「理念型」をもちいて比較するにしろ、「実際はどうだったのか」という検証そのものには開かれていなければいけない、という点です。

 区別という言葉の意味でまず混同が起こっているっぽいので、まずそこを解決すると、「ツチとフツという区別が恣意的だ」という場合の区別の恣意性と、「「特権的な異者」と「そうでない異者」という区別が恣意的だ」という場合の区別の恣意性はまったく別のものだということです。前者は、その出発点が恣意的であったとしても、その恣意的な区別のもとにさまざまな歴史的経過が沈殿することで、ある時点からは社会の中での実定性(positivity)を有しているわけです。伝統や国家や地図というものだって程度の差はあれ恣意的な境界をもちながら、にもかかわらず厳然と存在しているわけです。一方、後者の区別は、いわば事態を分析するための枠組みの恣意性です。歴史的経過の中でなんとなく肯定されていく前者の恣意性とはことなり、こちらの恣意性はその区別をもうけることでなにが見えてくるのか、という点からのみ肯定あるいは否定されることになります。この違いはとてもわかりやすい帰結をもたらします。つまり前者の区別は、歴史的検証に基づいてその区別がある一時点において実定性もっていたのかそうでないのかということをある程度判断することができます。この場合、歴史性というのがきわめて重要で、現時点である区別が、たとえばツチとフツという区別が実定性を有していたとしても、だからといってそれが大昔からそうだったとは絶対に言えないわけです。そして実際には、植民者のベルギー人によってまずはツチとフツという区別がなされ、それが制度化されまた内面化されていったという区別の実定化の歴史があるわけです。いうまでもなくこのことは「日本人と朝鮮人」についても言えることであるのですが。とにかく、そのような区別ともうひとつの区別の恣意性は異なる、ということだけを確認しておきます。

 で、finalvent氏の場合に(僕は別に自分の考えをいっているだけで、氏にこだわるいわれはまったくないのですが)、区別の賭け金となっていたのはなんだったのか。「民族間の争いと憎悪の歴史背景」があったのかなかったのか、これです。http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060304参照。ルワンダにはそれがあった。では関東大震災の時点の日本にもそれがあったのか、これが問が問いです。そしてその限りで「特権的な異者」と「そうでない異者」という区別がようやく意味をもつわけです。単純化すると、フツとツチとの間に「民族間の争いと憎悪の歴史背景」があったとして、では当時の「日本人と朝鮮人」の間にもそれがあったのか、虐殺を引き起こしたのは単なるヒステリックな「異者の排除」ではなく、そのような「民族間の争いと憎悪の歴史背景」なのか、ということです。この設定は、たんに極端な固有性を参照することで「違う」とするものではなく、「異者の排除」一般ほどではないにせよそれなりに抽象度があると思いますし、この抽象度である二つの歴史的出来事がはっきりと「違う」といえるのならば、素朴な感覚からしてもそのふたつの出来事は「けっこう違うのかも」といえる気がします。(あとこれは脱線ですが、『ホテル・ルワンダ』という映画に即して言えば、「異者の排除」という次元よりも「民族間の争いと憎悪の歴史背景」という次元に焦点が当たってなにも不思議ではないとおもいます。)

 長くなってしまったので、あとは簡単に。fenestraeさんの当該のエントリーhttp://d.hatena.ne.jp/fenestrae/20060307は、gachapinfanさんに向けて書いたひとつ前のコメントのときにはすでに読んでいました。あのエントリーで紹介されていた文章で描かれている出来事の大半は、たんにそのときに起こったことであって、社会的布置の証言にはならないと思います。起こった出来事だけでは、突発的なヒステリーが「朝鮮人」という偶発的なレッテルに集約されたのか、それとももっと深い社会的布置に由来するものなのかは判断することが難しいです。ただ一カ所、気になる箇所がありました。こういうことが書かれています。

「町の在郷軍人などといった手合いだけではなく、相当な知識層の人も同じような不安にとらわれていた。改造社では、地震直後の九月三日に目黒にあった山本社長の家で、今後の雑誌発行について会議をひらいた。その時、このいわゆる不逞鮮人の騒ぎが大きな話題になり、山本社長はもちろん、秋田忠義というドイツ帰りの評論家で相当教養もあり、視野の広かった人さえも鮮人襲撃を信じこんでいた。」

 まず、「視野の広かった」らしいひとでも「鮮人襲撃」を「ありえる」ものとして受け取る土壌が存在したということ。もちろんこの事例だけではなんとも言いかねますが、これはある程度検証可能な領域ですし、finalvent氏は「そのような土壌がなかった」という点を主張しているのですから、当然ながらそれに対する反論は「検証すること自体がうんぬん」ではなく、「いや、そういう土壌はあった、これこれの事例の山を見ろ」ということを説得的に行うことです。

 あと「不逞鮮人」という言葉が、関東大震災時に「いわゆる」と言われるほどに人口に膾炙していたことは知りませんでした。こういう言葉の端々に社会的布置は現れるのだと思いますし、こういった言葉の変遷も検証可能なものです。もちろん「不逞鮮人」あるいは「朝鮮人」にたいするものを調べるだけでは不十分で、その他の「琉球人」や「地方人」といったいろいろな「異者」に対するレッテル語と比較し、「朝鮮人」に対するレッテル語があきらかに特権的な重さをもっていることが明るみにされなければならないように思えます。

 現在においては「日本人と朝鮮人」は「民族間の争いと憎悪の歴史背景」にちかいものをもっていると言える気がしますが、言うまでもなくこれは歴史的な形成物であり、歴史上のある時点から徐々に立ち上がり、ある時点からそれが確固とした実定性を獲得していったものです。現在もそうだったから過去もそうだろう、という単純な発想は、やはり批判されて然るべきだと思いますし、そもそもの対話の可能性を大きく減らすものだと思います。

 最後に繰り返しますが、ぼくはfinalvent氏を無条件に擁護しているわけではありませんし、町山氏を批判したいわけでもありません。おそらく、町山氏に反日プロパガンダとレッテル貼りするためにfinalvent氏を擁護する人には、町山氏の最後の一文を「ポジティブに読んで」反論しますし、逆に歴史的検証に触れるだけで逆上する人にはfinalvent氏を「ポジティブに読んで」反論します。では、gachapinfanさんには僕はどのような態度を取ればいいのか、それは少しわからないところでありますが、おそらく、町山氏に関してもfinalvent氏に関してもできるだけ「ポジティブに読んで」、結果として何かが見えてくればいいだろう、くらいでしょうか。よく見られるような、陣営がはっきりわかれてのよくわからない本気パネルディスカッションをやっているわけではないので。