春の夜

三寒四温の言葉通りの日々がつづいていますが、その「温」の日、とくに日が落ちて暗くなっているにもかかわらず依然として生温かいあの空気に触れると、ずっと昔の記憶がゆるやかに刺戟されるような気がします。なにか胎内を連想させるような、そういった穏やかさがありますよね、春の夜は。ということで、ちょっと昔のことを書いてみます。

春の夜の包み込むような生温かさということで僕が即座に連想するのは、小さい頃の夏休みの東北行脚です。夏休みになると青森の弘前にまでおもむいて両親はねぷた祭の手伝いをし、僕と妹はねぷたを引っ張るということが恒例となっていました。しかしそのねぷた祭そのものは、僕にとっての春の夜ではありません。むしろそこに向かいまた帰ってくる車の中が春の夜でした。

あちこち寄り道しながら、だいたいひと月くらいでしょうか。キャンプ場を転々としながら弘前に辿り着き、またキャンプ場を転々としながら帰途につく。そうそう、当時は石川県の金沢市に住んでいたので、金沢・弘前間ですね。しかし僕は小学校に入る前からそもそも外出することが嫌いでしたしキャンプもめんどくさいから嫌いでした。ただ、高速道路を走っているときにスピード表示を延々と眺めることと、そして走っている車の中で眠ることだけは好きでした。特に夜、後部シートにあつらえられた寝台で目を閉じ、窓から入り込む橙色の街灯がまだらに染めてくるのを閉じたまぶたの向こうに感じながら、エンジン音に聴覚を寄り添わせ、道を曲がるごとに今向かっている方角を想像しながらそのうちに混乱してどこに向かっているのかがわからなくなり、そのままいつしか眠りに落ちていく。これがたまらなく好きだった。

体の下に感じる絶え間ない車の律動と、まぶたの表面を撫でる柔らかい色彩の手触り、そして方向喪失の感覚。それらへの嗜好がなにを意味しているのかなんてことは当時はもちろん考えなかったわけですが、いまから振り返ればそれは一種の胎内回帰だったんだろうと思います。だからぼくはそれを春の夜と呼んでさしつかえないだろうと考えるのです。僕はキャンプも祭りもあまり好きではありませんでした。というよりも車に乗っている時、どこかに到着してしまうことがとても残念に思えたのでした。目的地への到着という出来事は、移動という行為をどこか白々しくしてしまうように思えてました。僕はおそらく無際限の移動が欲しかったのかもしれません。

大学生になってしばらくしてから「歩く」という行為に執着しだしたのも、いまから思えば春の夜に照準を合わせていたのだという気がします。高校生のときにもたまに突発的に歩きたくなって、高校があった上石神井から川越まで10時間くらいかけて歩いて死にそうになったり、モンゴルでも草原を三日間歩きつづけてこちらは文字通り死にそうになったりしたのでした。が、大学生になってからは意識的に歩くということをするようになりました。山手線の内側は歩いていく、というのがだいたいの目安でした。

歩くことにおいても僕は、どこかに到着するということが白々しく思えてなりませんでした。それはまた同時に、歩きながら周囲の風景を楽しむということからも距離を置いていました。というのもそこでは歩くことが、どこかの地点であったり風景であったりという目的に従属してしまうからです。僕はたんに歩きたかった。まったく無意味に歩きたかったのでした。そして歩きながら、まったく無意味に歩くことの意味を延々と考えつづけました。

たとえばこんなことを妄想しました。いわゆる未来世界がやってきて人々はあらゆる地点を瞬時に移動できるようになった。すると世界からは道が消えて、世の中にはさまざまな目的地だけが存在するようになる。人々が存在するのはつねになんらかの目的地のおいてだけであり、「移動中」という状態にいる人は存在しなくなる。しかしおそらくいつの世の中にもひねくれ者はいて、そんな世界においてあくまでも「移動」をしようとするやつが出てくるだろう。目的地のネットワークを外れて、その世界ではすでに存在しないことになっているなにもない砂漠を歩き始めるやつが出てくるだろう。そしてたぶん自分はそいつなのだ。

人は歩きながら、どこかの目的地に向かっています。あるいは気分転換を目的とした散策かも知れません。しかしその一方で、いかなる目的もない純粋な「歩く」あるいは「移動」というものが存在してもいいだろうと僕は考えました。でも、どこにも向かっていない「移動」とは一体なんなのか。そんなことを延々と考えながら、しかしいつしか僕は歩きながら本を読むということを覚えて、あるいはそのときが僕にとっての「青春の終焉」だったのかもしれません。まあそれはいいとして、いまから考えれば当時の僕が固執していた「純粋な移動」というのは、つまり春の夜だったんでしょう。擬似的な胎内回帰です。

大学の三年生の時だったと思いますが、まあこういう経緯もあって東京から京都まで歩いてみましたこのときは、まあすこしは不純な動機もあったかもしませんが、ほとんどあたりの風景もみず、延々と排気ガスを吸いながら500キロくらい歩いたのでした。全部で2週間。まあ疲れただけです。友達の弟が京都に住んでいて、その彼がたまたま実家に帰省しているということでその部屋を借りることができました。京都でなにをしようとも思っていなかったのですが、その部屋に入るとドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』が置いてあったので、それを読み終えたら回廊と思ったのでした。だいたい二日半くらいかけて読み、それから帰りました。帰りは電車です。この辺りが僕にとっての「歩く」のハイライトだった気がします。

最近はあんまり歩いていないです。「純粋な移動」を欲するにはなにか胸に空虚な穴のようなものを感じる必要があって、おそらくそれを埋めるために春の夜が求められるのだと思いますが、最近は、その穴がなくなったというわけではないにせよ、どうでもいい細かい事柄のなかに紛れ込んでしまっているような気がします。それがいいことなのか悪いことなのか、それはわかりません。が、とにかく、このところの春の夜のささやきを受けて、何となく昔を思い出してみたのでした。