デラシヌマン

ポッドキャスティングで、TBSラジオの「文化系トークラジオLIFE」とかいうのを聴いていたのでした。
http://www.tbsradio.jp/life/
10月28日配信の回は、「after95」と題して95年以後というテーマについていろいろ語られています。

部分的に聴いただけなのですが。

たとえばインタビュー。おそらくは「95年と言えば?」というような質問に対してみないろいろと答える。コメンテーターの人たちもいろいろ語り合う。それはとても興味深いしなるほどと思うのだけれど、なんだか聴いてると胸が空虚になる。95年と言えば僕は中学三年くらいで、もっとも多感な頃合いだったはず。さらに受験勉強なんてまったく興味がなかったから、なんのプレッシャーもなく好き勝手なことをしたり考えていたりしたはず。しかしぼくには、95年といわれても何一つピンと来ない。ラジオのトークでさまざまな話題が上がると、むろんそれらの名前は知っている。ドラゴンボールスラムダンク椎名林檎くるり、オウム・・・。しかし僕にとってはたんなる名前でしかなく、そこには「痛み」というものがなにもない。

考えてみれば、これは以前から思っていたことだった。95年という年に一つの転換点をみるというのはほとんど陳腐とも言ってもいい語りであるわけで、となると自分自身でもその数字を自分の来し方に当てはめても見たくなる。しかしどう考えても、その数字、あるいはその数字が喚起しているはずの時代は自分のなかに何一つ痕跡を残していない。ときおり誰かに聞いてみたりもしたことがあったのだった。95年って、転換期って言う感覚があるか?と。どんな答えが返ってきたのかはあまり覚えていない。もともとたいして興味がないのかもしれない。

ある一人のコメンテーターが、サニーデイサービスの名前をあげた。95年、サニーデイは『東京』というアルバムを出し、彼はそこに表現されていた世界を一つの自分の支えにしていたとのこと。そしてそのなかから一曲を紹介し、それが流される。が、それはラジオだけでポッドキャスティングでは権利上の問題から曲は流されない。そこで一回分の配信が終わり、そのまま沈黙。

パソコンのデータに一枚だけサニーデイのアルバムが入っているから、それをかわりに聴くことにした。『MUGEN』というアルバム。おそらく2000年代に出たやつだろう。そしてこれがすごくいい。いいのだけれど、僕はやはり空虚な思いを逃れることができなかった。というよりも、95年について議論を聴いている時に感じた空虚さが、ひとつの純粋な固まりを形成してなにか苦しいような匂いを自分の胸のなかで放ったようにも感じられた。

曲を聞きながら僕がなによりも思ったこと、それは「他人の青春を聴いている」という奇妙な感覚だった。これはサニーデイが歌っている世界を「他人の青春」であると感じたということではない。サニーデイが醸し出しているたしかなある空気というものを、同時代の敏感さ、その同じ大地の柔らかさで、精神の一番の核心にある情動を代弁してくれているものとして聴いている誰かの青春、それを聴いているのだと僕は感じたのだった。一人暮らしの部屋の夜中、自分だけのためにとっておいた空白の時間に、他にはありえない必然的な選択としてサニーデイを聴き、そしてまたそれを聴いている一回限りの現在というものを泣きそうにながら抱きしめている青春まっただ中の誰かが、膝を抱いて部屋の片隅で座っているのを僕は想像した。僕はその誰かが切実にサニーデイを聴いている様を想像することでしかサニーデイに触れることができない。この妙な疎外感覚はなんなのだろう。

そしてその感覚は僕にはなんとも衝撃的だった。というのも、その感覚がじつはつねに自分を貫いてきた一つの基調であった、ということに気付いてしまったからだ。皮肉なことに、サニーデイの曲に自分自身を見出したのではなく、そこに自分を見出すことのできない奇妙な隔たりの作法というものに、僕は自分自身を見出してしまったのだった。この屈曲が、自分にはいつも馴染みのものだった。そのつねにすでに馴染みであったものを、一つの旋律の、歌声のトーンの、バンドのリズムのその具体性そのものに見出すという点にあるかけがえのない、そしてなんとも切ない痛みというものを覚える、という点ではたしかに僕はポップスを聴いたとは言える。やはり、皮肉的だ。

そんなことを思いながら、まず「デラシヌマン」という古ぼけた言葉を思い浮かべる。根無し草。どうなんだろう。そういった根無し性自体がいまでは一つの時代のエートスになっている、という部分もあるかもしれない。自分もそれを分けもっているのだ、と。かつてデラシヌマンという言葉が流行った時代には、あきらかにそのデラシヌマンという言葉自体がじつはひとつのラシーヌ、根の役割を果たしていたのだろう。今はどうか。しかしひとのことはわからない。

あらためて振り返りながら、しかしかつてもそんなことは当然のようにしてわかっていた気がする。でもそのことと、それを言葉にしてみるということの間には、やはり大きな隔たりがある。なにか着想や意匠や発見やらを言葉として書き付けるとき、自分はずっと前からそのことを考えていた、と思うことはしばしばある。ただその一方で、以前はそれを言葉にするという段階には無かったのだ、という感触も同時に覚える。この「思想」と「言葉」とのずれを以前から不思議な思いで眺めていたけれど、今回のもそれに似ている気がする。すこし分野がちがうけれど。

とすればここにはひとつの契機というか転換点というか、95年ではないけれどひとつの自分のなかの時代の節目というものがあるのだろうか。その節目をこうやって不器用に確認して見ているということなのだろうか。できればその節目を、ある具体物の痛みに寄り添えたいような気もするけれど、まあこんなものか。

と、これがいわゆるチラシの裏というやつなのかもしれない。もしかしたらあとで消すかも。