文化系トークラジオLIFEと「青春」

およそこの半年、ポッドキャスティングを通してですが継続して聞いてきたラジオ番組、「文化系トークラジオLIFE」というのがこの三月でひとまず終了しました。
http://www.tbsradio.jp/life/
若い社会学鈴木謙介氏をメインパーソナリティーとし、いろんなサブパーソナリティーで脇をかためて展開されていく話がどうにも面白く、よる寝る前によく聞いていたのでした。で、さきほど、その最終回(四月からは時間帯が深夜に移って月一で継続されるのですが)をポッドキャスティングで聞きました。

いつだかはよく覚えていませんが、僕が最初にこの番組を聞いた時のテーマは「八十年代」だか「バブル」だったと思います。そこでは鈴木謙介氏が中心となって、「あんなことがあってこんなことがあって、その背景にはこういうことがあって」ということをなんやかやと話されていて、よくそんなにいろいろ覚えているなあと感心したのですが、それよりも強く感じたのは、自分がそこで言われている事柄にほとんど印象をもっていない、ということでした。そこで具体的にどのようなはなしが出てきたのかももう思い出せなくて悲しいのですが、とにかく聞いているときには、それぞれの固有名詞などはどれも聞いたことはあるものばかりでありながら、自分のなかにはなにひとつ痕跡を残していない、ということを強く感じたのでした。そして、「そのとき自分はどこにいたのだろう?」ということを何となく思いました。

番組そのものは、一方では「働くこと」とか「大人になること」あるいは「教養とはなにか」といったそれなりに硬派なテーマを扱ってみたり、他方では「あこがれの女性」、「あこがれの男性」という軟派なテーマを扱ってみたりしながらも、上段からの解説というよりはパーソナリティーたちの個人的な記憶と感覚に根ざしたトークが展開されていく、とてもハートウォーミングで親密な感触をもった番組なのですが、僕としては、それらの話をとても面白く聞きながらも、なんとなく「自分の生きたことのない青春」というものをでも聞いてるような気がしてならなかったのでした。もしかしたら最初に聞いた時の印象がほとんど刷り込みになったのかもしれません。

まあこまかいことはいいのですが、書きたかったことは、番組の「最終回」を聴き終わったとき、なぜだか、最近いまさらながらハマっているピクシーズを聴きたくなってそれを聴いていたら、やはりピクシーズの音楽も僕にとっては「自分の生きたことのない青春」なのだなあと感じた、ということでした。

しかし、今ちょっと思いました。そもそも「自分の青春」なんて存在するのだろうか。むしろ、「青春」なるものはつねに「自分の生きたことのない青春」でしかなく、だからひとはソワソワするんじゃなかろうか。それがもともと、というかむしろ原理的に自分のものではないから、そこには還元不可能な隔たりというか遠さがあって、それを掴もうとする若者の焦燥を、「青春さん」が引っ張っていく。前にも引用したことがある気がしますが、ヘルダーリンはこんなことを書いているらしいです。

「太陽は、その薔薇のごとき光でもって、うら若きものたちを、先へ先へとおびき寄せるのだ。」

僕はこの言葉からなんとなく「快活な残酷さ」という言葉を連想します。簡単に言ってしまえば、太陽は残酷で、うら若きものたちは快活で、それらが同時に与えられるときに、とりあえず「青春」が生まれるのかなあと。

なんか良くわからないことを書いていますが、とにかくLIFEという番組はお勧めですので(というか、エポックメイキングな番組になっていくのではないかという気がします)、興味のある方は上のリンクから飛んで、バックナンバーを聴いてみてください。