おもしろいぞ、松本哉『貧乏人の逆襲 タダで生きる方法』

三日前、高校時代の友人から思わぬメールが届き、本を送りつけたからよろしく」とのこと。その文面によると、まったく脈絡なく送られたその本は二冊あり、一冊はフーコー・コレクションの第四巻「権力・監禁」で、もう一冊は松本哉の『貧乏人の逆襲』だとのこと。この組み合わせ、なんだ?

そして昨晩、帰宅するとその本が届いている。ちょっとニュースを見たあと何の気なしに『貧乏人の逆襲 タダで生きる方法』を開いてみると、なんだか面白い。やたらに面白い。もうとまらなくなって、そのまま最後まで読んでしまった。雨宮処凛との、こちらはあまり面白くない対談まで読んでしまった。

なにが面白いかというと、とにかくこの松本哉という人が、自分なりに面白いと思うことを徹底しているという点。それも、貧乏人として。むろん、貧乏人が面白くやっていくためには知恵と技術がいっそう必要となる。だからまずこの本は、その基本的な知恵と技術を伝授するところからはじめる。その上で、松本哉氏がこれまで実践してきた「面白きこと」が縷々軽快に語られていきます。

この松本氏が法政大学時代に「法政の貧乏臭さを守る会」でやっていた活動は前から知っていて、いちど一人で遊びに行ったこともあります。しかし、僕がもっとも魅力を感じるのはやはり、このところ高円寺で展開されている「素人の乱」の試みです。なにしろそこには、たんに「面白さ」の追求にはとどまらない、とっても底堅い哲学というものが見える気がするからです。

その哲学を僕なりに要約すれば次のようになります。

「貧乏人が楽しくやるためには、人と土地とのつながりが最大の資本である」

むろんこの哲学は、本当は貧乏人ならずとも、誰にだって当てはまる普遍的なものであるのでしょう。ただ、何かともろもろ騒がしい時代にあって、「持たざるもの」がまずこの普遍的な哲学に立ち戻っていく、というのはきわめて必然的な成り行きであるにちがいありません。ちなみに松本氏はその幼年を亀戸の「スラムのようなところ」で過ごしたらしく、つながりに対する感覚はそのときに養われたのかもしれません。

高円寺の北中通りというひとつの場に腰を下ろし、そこを拠点として人とのつながりを作っていく、という「素人の乱」の展開は、まさにこの哲学に忠実であるといえます。

しかし松本哉氏の「哲学」という点で言えば、もうひとつ忘れることのできない独自の視点があります。それは、人と人とをつなぐものとしての「モノ」の役割です。松本氏が高円寺で最初に始めた店はリサイクルショップでした。松本氏このリサイクルショップを通して、新品の消費という経済スタイルとは異なる、修理と使いまわしに基づく別の経済スタイルを立ち上げようとしています。

これらのきわめて深い洞察が、松本氏の活動の基本的な足腰になっている、という印象を僕は受けました。

ただしこれらはあくまでも「足腰」であって、松本氏のすごいところは、そのしっかりとした「足腰」を基盤にして、とても鮮やかに踊って見せるところです。それがさまざまな創意にあふれるデモや選挙運動です。この選挙運動には僕も野次馬に行きましたが、とてもすばらしいものでした。また、これまで行われてきたデモについての本の中の紹介文には、なんども爆笑させられました。

あと最後に付け加えるならば、松本氏の基本的な(本から感じたものでしかないですが)姿勢である、真面目さと諧謔味とのとても奇妙な融合が、独特の魅力を醸し出している気がします。僕がこの本のなかで一番笑ったのは、地元の町内会に顔を出しているうちに、持ち回りの組長をやってくれるように頼まれたことについて書いているくだりです。松本氏は、この町内会というものがもともとは戦前、戦中の相互監視の組織として作られたものであったことに言及しながら、次のように書いています。

まあ、もちろん、いまはそんなわけはなく名前だけだ。で、その実態は町会費集めと回覧板を回す係り!これはすごい!ものすごい地味!!
 世が大パニックになった時は、やはり回覧板という超アナログな情報伝達手段も役に立つかとも思い、とりあえずは日々せっせと回覧板をまわしている!諸君!革命も近いぞ!

いやあ、笑えます。

以前、気まぐれで『VOL』という運動系の雑誌を買っておおいに期待はずれだったのですが、そのときに期待していたのは、この本のようなものだった気がしてきました。

貧乏人の逆襲!―タダで生きる方法

貧乏人の逆襲!―タダで生きる方法