思考の物質化と度外れなもの―梅棹忠夫『知的生産の技術』

どのような領域に属しているにせよ、すこしでも自分の知性を磨いていきたいと考えている心ある人ならば、まちがいなく読んでいるはずの本、梅棹忠夫の『知的生産の技術』ですが(梅田望夫氏の→http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20080509もこの本を踏まえてますし)、実をいうと、僕はこの本をまだ読んだことがなかったのでした。その怠惰がいかにもったいないことであったか、僕はようやく今日になってそのことを知りました。

この本が途方もなく役に立つことはいうまでもありません。しかしそのことだけでは、この本がたんに実用的な書物であるということをはるかに超えて、まぎれもない古典としてのたたずまいを持っていることをまったくもって説明できません。1969年に出版されたある種の「実用的」な本であるにもかかわらず、そこにはいまでも十分に通じる本質的な直観に満ちあふれていますし、また梅棹氏言葉がもつ独特の姿や、そこからはっきりと見えてくる梅棹氏の特異な存在感は、ふしぎな魅力にあふれています。加えて僕は「知的生産の技術」について論じているこの「実用的」な本読みながら、何度となく腹を抱えて笑いました。

梅棹氏が「知的生産」という言葉で指し示しているのは、「読んで、考えて、書くこと」、つまり、インプットからアウトプットにまでいたる、プロセスとしての知的創造の作業です。『知的生産の技術』は、そのプロセスを上手に組み立てていくためのさまざまな技術を紹介しています。

ところで、「技術」というものはなんらかの形で物質的なものです。『知的生産の技術』という本のもっとも核心をなす発想は、通常は頭のなかで起こる「精神的な」出来事であると考えられがちな思考のプロセスが、実のところかなりの部分がきわめて物質的に構成されているということです。物質的であるということ、それはつまり物理的に組織することができるということであり、その組織のやり方が「知的生産の技術」であるわけです。

梅棹氏はその技術のためのさまざまな装置をつぎつぎと考案していくわけですが、それは言いかえれば、思考のプロセスの物理的組織化の試みであります。そこで考案される装置の代表格が、その後「京大式カード」として流通することになる、万能メモ用カードです。さまざまなアイデアがそのカードへと書き込まれ物質化されることによって、それらは文字通り手で触ることができるようになります。さまざまに書き留めたものを手を使って横に並べてみたり組み替えてみたりすることで、それらのあいだにそれまでは見えていなかった関係を発見するための助けとするのです。

また思考のブロセスの物質化は、同時に記憶の補助でもあります。書き込み保存しておいたカードを取り出してきてさまざまに並べてみること、これは手を使って思考するというだけではなく、同時に手を使って思い出すことでもあります。さまざまな知識やアイデアを思い出してつなげていくこと、これらは物質化することができるものであり、それゆえ技術を発達させることで高度に組織化することができる。いわば手によって代行することができる。明示的には書かれていませんが、梅棹氏の発想の根底には、気持ちがいいほどに割り切られたこのような根本思想があるように思います。たとえば次のように述べられている箇所があります。

「分類するのではなく、論理的につながりがありそうだ、と思われる紙きれを、まとめてゆくのである。何枚かまとまったら、論理的にすじがとおるとおもわれる順序に、その一群の紙きれをならべてみる。そして、その端をかさねて、それをホッチキスでとめる。これで、一つの思想が定着したのである。」(203頁)

「これで、一つの思想が定着したのである」というこのなんともいえない恬淡としたようすが、どうにもたまりません。とにかくここには、思考のプロセスを徹底的に物質的に取りあつかっていく梅棹氏の手つきが、この上なく鮮やかに現われているように思います。梅棹氏は上に挙げたような思考補助のやりかたを、ソロバンになぞらえています。

梅棹氏が具体的に示している「技術」の事例そのもののうちには、パソコンやインターネットが一般的になった現代においては時代遅れになっている部分はあるにせよ、いまでも有益なものがたくさん含まれています。しかし個人的にはそれ以上に、「思考とは何か?」という、本のなかではそれ自体としては問われていない問いに対して暗黙のうちに答えている、その物質的な思考の捉え方のほうに、僕はなにより魅力を感じますし、それこそが、この本を古典の地位にまで引き上げているものだと思います。また、いまネットやITの世界で起こりつつあることを理解するための、本質的な足がかりになる部分でもあると思います。考えることというのはつねに思い出しながら考えることです。グーグル化された現代における記憶(記録)、想起、思考の関係を考える際にも、梅棹氏の議論はきわめて示唆的です。

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以上が、『知的技術の生産』についての真面目な感想なのですが、実をいうとそれ以上に、というかそれとはまったく別の角度から、どうしてもこの本の魅力について語らなくてはなりません。

この本はいろんな点できわめて「実用的」な書物なのですが、そのなかで一章だけ、表面的にはまったく実用的でない章が存在します。第七章「ペンからタイプライターへ」がその箇所なのですが、面白いことに、この章は全部で十一ある章のなかでいちばん分量が多くなっています。

梅棹氏は「知的生産の技術」に関して、本をどう読むかというところから、アイデアをカードに書き込み、それをどうまとめどう整理し最後にはどうやって文章として形にするか、までの一連の流れを網羅的に技術化していこうとします。その流れのなかで必然的に、「何を使って書くのか」ということもまた問題にされます。その章題が示しているように、第七章「ペンからタイプライターへ」ではその点が論じられます。

ただし正直に言って、この章はまったくもって「実用的」ではありません。もちろん基本的な発想は徹底的に「実用」に向いているし、そこにはきわめて透徹した合理性が一貫して存在しています。しかしそれでも、この章は明らかに「度がはずれた」何かで溢れかえっているのです。

現在では日本語をキーボードで打つことは一般化しており、むしろ筆記用具で文字を書くということがきわめてまれなことになりつつあります。しかしそれはデジタル技術によってはじめて可能となったことであって、それ以前にはそうはいきませんでした。

ただし欧米圏では事情がことなります。ごくごく限られた文字からなるアルファベットを用いている欧米の国々では、デジタル技術以前にすでにタイプライターで文字を打つことが一般的になっていました。このことは、おそらく現在想像しうる以上に大きなアドヴァンテージであったのだろうと思います。少なくとも、この差異を致命的なものであると感じ強烈な危機意識を抱いていた人がある程度いたことは確かです。

少数の文字からなるアルファベットではタイプライターが使え、多くの漢字を用いる日本語ではそれが使えない。この差異は、純粋に文字の性質によるものです。ここに、日本語の文字を改革しようと考える人が出現する必然的な理由があります。注意すべき点は、その改革の動機が、たとえばかつてしばしば見られたような「日本語は西洋語に比べて論理的ではない」などといった不確かな理由によるのではなく、タイプライターを想定した場合に文字として効率が悪い、という理由であるという点です。この後者の主張に関しては、それはまぎれもなく真実でありますし、また文字が書かれる速度が、集団間のさまざまな競争において重要なファクターになる、という判断もおそらく妥当でしょう。「日本語の現在の文字では欧米にはかなわない」という切実な危機感は、まさしく正当なものであるかと思います。

第七章「ペンからタイプライター」は、日本語の文字改革の歴史を延々と紹介していきます。大まかには、ローマ字で日本語を打つ「ローマ字方式」、カタカナで打つ「カタカナ方式」、ひらがなで打つ「ひらがな方式」が主要な代替候補であったようです。いずれにせよ、タイプライターには適合しない漢字は放擲して、上に挙げた限定された文字で日本語を表記しようという発想です。

いまから見ればちょっと信じられませんが、当時はこういうことを本気で考えていた人がいたようです。しかし僕がここで言っておかなければならないのは、まさに梅棹氏自身がその人たちの一人であり、さらにはこの本が執筆されている時点でもそうであるという点です。

梅棹氏は、当初はそれほど意識的にではかったようですが、そうした日本語文字改革者たちと似たようなことを試みていたようです。高校生の頃に買ってもらった英文用のタイプライターを使っていろいろ遊んでいるうちに、いつしか日本語をローマ字でタイプするようになった、と梅棹氏は書いています。しかしそれだけではありません。次の一文を読んで、僕は失笑しました。

「ある時期の私は、やはりすこしファナチックであったかもしれない。手紙は全部タイプライターでローマ字でかいた。そして、うけとる相手の気もちもくまず、だれかれの区別もなしに、強引にそれを発想した。」(134,135頁)

その後、梅棹氏は正気に戻ったらしくローマ字日本語手紙を送りつけることはやめたようです。しかしその後「カタカナ方式」が出始めるとさっそくカタログを取り寄せ一台購入します。さらに後には「ひらがな式」へと華麗に乗り換えます。そのたびに僕は,なんだかおかしくてたまらなくて腹を抱えて笑ってしまったのでした。

ちなみに梅棹氏は、この本が書かれた1969年当時でもかなかなタイプライターでかたかなのみの手紙を送っているとのことです。

本の全体からみればどこか不格好なこの第七章「ペンとタイプライター」のうちに、僕はひどく愛着をもちました。ただそのことが言いたいがためにここまで書いてきたら、この本を読むのにかかったのと同じくらいの時間(二時間くらいかな)を使ってしまいました。