「政治屋」と「政治活動家」はなぜいけないか

ちょっと前に「右翼と左翼」について書いたもの↓
http://d.hatena.ne.jp/voleurknkn/20061216#p1
の補足をします


右翼と左翼とを特定のイデオロギーの性格ではなく、つねに変化していく現在という時間を、過去あるいは未来の理念的表象へと導いていくことで、その変化の速度を遅めたり早めたりしようとする態度、として捉えることができるんじゃないかと僕は以前書きました。そしてその際、そこでの政治的速度を、特定の理念的表象を参照することのない経済的な速度を対比させ、前者の内部での右左の速度のやり取りと、前者と後者との速度のやり取りという二つの争点のありかを設定したのでした。

ただしそこでは、理念的表象というものの地位を明らかにはしていませんでした。理念、つまりあるべき状態という理想像というのは、当然ながらが現実には存在していないものです。しかし、それはたんに現時点ではそうであるというだけであって、やがてはそれは現実になるのではないか、という意見が当然ながら予想されます。これは、現実と理念とを、いわば地続きの程度の差異として理解する発想ですね。ただ、歴史的に見ても理念をそのまま現実へと短絡するという発想がきわめて危険なものであるということは歴史が証明しています。ファシズムスターリニズムがその右と左における代表例ですね。

とすると、そもそも政治に理念を持ち込むことが危険なのではないか、という発想が今度は出てきそうです。しかし、理念なき政治、というものは存在しないと思っています。理念のないところには権利というものは存在しません。たとえば自由とか平等というものは権利であって、それは事実として、モノとしては存在しません。たとえばジャン=ジャック・ルソーは『人間不平等起源論』のなかで次のように述べています。

自然状態はもはや存在しないかもしれず、おそらく決して存在したことがなく、たぶん将来もけっして存在しないだろう。しかしわれわれの現在の状態をよりよく判断するためには、それについて正しい観念を持つことが必要だ。」

原文を見ていないのでなんとも言えないところではありますが、ここで「観念」と呼ばれているのはidee、つまり理念のことでしょう。ルソーにとっての「自然状態」とは、そこで「自由」と「平等」が実現しているユートピア的な状態です。ルソー自身が述べているように、そのようなユートピアが実際に存在したことなどなく、それはあくまでもフィクションです。しかしそれをルソーは、「われわれの現在の状態をよりよく判断するためには、それについて正しい理念を持つことが必要」となるなにものかとして捉えています。

ルソーの「社会契約論」はフランス革命の思想的基盤になった、ということはしばしば言われますが、実際にそうであったかに関してはいろいろ異論があるようです。しかしだとしても、「共和国」という政治的主体が、「自由」と「平等」という理念に導かれていた、という点は間違いないように思います。そして、さまざまな紆余曲折があるにせよ(ロベスピエール、ナポレオン)、「自由」と「平等」は何らかの形で「実現」していき、現在ではそれらは「権利」として広く認められるに至っています。それではそのとき、フィクションとしての「自由」と「平等」という理念はどのような地位にあるのか。

それは、たとえばその辺に転がっている石ころのようには存在しているわけではありません。「自由」と「平等」はそのような意味では「存在しない」ものであるわけです。しかしそれはたんなるフィクションというわけでもありません。というのも、そのフィクションを信じることで政治が進められていた結果、「自由」と「平等」は確かに「実現」していっているように思われるからです。とすると理念的表象とは、このように現実へと働きかけるフィクションであるということになります。

さて、ではそれはいったいどのような働きかけなのか。フランス革命は、浅羽通明の本でも描かれているようにきわめて性急なものでした。多くに人がギロチンへと送られ、そして多くの人をギロチンへと送ったロベスピエール自身もギロチンの露と消えました。理念が実現しようとするものは、現実には存在しないものです。とするとそれは不可避に現実を変えようとするものであるわけですが、しかし現実に満足している人たちはその変化に対して抵抗します。フランス革命においては貴族や僧侶がいわゆる「抵抗勢力」でした。それではどうするのか。

ここではさしあたり、政治とテロルを区別します。おおざっぱに言ってしまえば、政治とは対立をやりくりするもの、テロルは暴力で直接的に「解決」しようとするものです。フランス革命には、おそらくそのどちらの契機も入り込んでいるのだと思いますが、いうまでもなくフランス革命の「革命」的なところはテロルにあったといえるでしょう。テロルは理念を暴力を通して直接に実現しようとします。その極限がルイ16世の処刑です。

暴力を通して理念を直接に実現しようとするテロルに対して、政治はさまざまな話し合いのプロセスを経ることで、現実の「あるもの」と理念が表現する「来たるべきもの」との間のやり取りをし、変化を一歩ずつ導いていこうとします。言い換えれば政治の場とは、理念なき現実主義でも、現実を無視した理念でもなく、理念と現実との「やりくり」を行なっていくことにあります。僕としては、理念なき現実主義者を「政治屋」、現実と折衝する気のない理念主義者を「政治活動家」と呼びたいところです。あえて具体例は出しませんが、現在の日本にも「政治屋」と「政治活動家」は多く見られるように思います。

ただ、ここでの政治とテロルとの対比は、非暴力と暴力との対比ではありません。というのも、一部の「政治活動家」以外の人はみな知っているように、暴力の裏付けなくして政治というものは不可能であるからです。暴力というものに関して政治が行なうことは、暴力を廃絶することではなく暴力を節約することです。暴力の行使を暴力の宙吊りに置き換え、そこに、政治的な話し合いのプロセスが生じる時間を生み出すこと、これが政治です。

政治の必須条件は、現実と理念との差異を見出すことです。あるいは、現実のうちに「いまだ実現していないもの」を見出すこと、と言い換えてもいいかもしれません。「自由」や「平等」というのは、現在の日本ではかつてに比べていくらかは「実現」しているといえるかもしれませんが、しかしそれが完全に現実化するということはありえません。「自由」も「平等」もフィクションでしかないわけです。可能であるのは、それらのフィクションを実現させていこうとするプロセスのみであり、そのプロセスに携わっていくたえざる努力が政治であるというわけです。

理念というものが現実とはそもそも別の次元に位置しており、理念と現実との差異は絶対である、ということをはっきりと定式化したのはカントです。ルイ16世をギロチンへと送ることになったフランス革命をカントは批判しましたが、それはテロルというものが理念と現実との差異を短絡してしまうからです。カントは誰よりも理念を重視した人でしたが、しかしそこで本当に重視されたのは特定の理念そのものではなく、理念と現実との差異を生み出すことでした。その差異を通してのみ、世界はより良い方向へと進んでいくことができる。ただしカントは、『純粋理性批判』においても『実践理性批判』においても、さらには『判断力批判』においても、理念と現実との相互交渉がどのようなものでありうるのか、ということを正面から考察することはありませんでした。そこでは理念と現実との差異が称揚されはすれど、今度はその両者が完全に切り離されてしまうこととなっています。一見するとその切り離しは『判断力批判』において解消されているようにも見え、実際たとえばジル・ドゥルーズという人などは『カントの批判哲学』でそう論じているのですが、僕の見るところではそれは間違っています。詳しくは述べませんが、カントは結局のところ政治における理念と現実の「やりくり」を理解することに失敗していますし、そのことはドゥルーズの『差異と反復』にも同様に現われています。

理念と現実との差異と、その差異を通しての「やりくり」、というのは、実はカントによってはじめて提示されたものではなく、むしろ、哲学の歴史そのものがそこへめぐって展開されてきた、と言っても過言ではありません。理念、というのはつまりイデアのことであり、すでにプラトンが中期の対話篇である『パイドン』において、イデア的なものの存在を提唱しています。そこでは現実とは異なるイデアの秩序というものが想定されることによって、理念と現実との差異というものが措定されているわけです。この差異の措定が西洋哲学の開始を告げるものです。

政治というのが理念と現実との差異をその根本的な原動力とするものであるのならば、哲学の開始は同時に政治の開始でもあります。よく知られているように、プラトンの『国家』は哲人政治というものを提唱していますが、これは、理念に通じた哲学者が同時に政治家となることによって、理念を現実において実現するものとしての政治を遂行する、という発想です。ここでは理念と現実との「やりくり」はまったく考慮に入れられておらず、理念が一方的に現実へと働きかけるという回路になっていることがわかります。ヒトラーが画家志望であったことや、スターリンが文学や哲学にも通じていたことが何となく連想されます。

プラトンの政治観に対して、その弟子であるアリストテレスは別の政治観を対置します。『ニコマコス倫理学』においてアリストテレスは知というものを二つのものに区別しています。一方が、「他のようではありえないもの」に関する知。それに当てはまるものとして挙げられるのがエピステーメー(認識)であり、それがが扱う「真理」というのはつねに変わることのない唯一のものであると想定されます。他方が、「ほかでもありうるもの」に関する知。それに当てはまるものとしてあげられるのが、実践的行為に関する知であるフロネーシス(賢慮)と事物の制作に関する知であるテクネー(技術)です。たとえば「仲良くする」というプラクシス(実践)には唯一の正解というものはなく、さまざまなやり方でそれは達成されうるわけです。

アリストテレスはその上で、プラトンが政治を「ほかのようではありえないもの」の知に結びつけたのに反対して、政治は別の種類の知、「ほかのようでもありうるもの」の知であるフロネーシスをもってなされるべきだ、と主張しました。そこでは政治は唯一の真理を実現するのではなく、そのつどの状況に応じて「うまくやって行く」ことにある、と理解されます。真理ではなく「中庸(メソテース)」が重要視されるわけです。ただしいうまでもなく、この「中庸」は「政治屋」のそれではなく、理念=ロゴスを参照する政治的「やりくり」を通して生み出される「中庸」です。

ハイデガーの『存在と時間』が、このプラトンアリストテレスの政治論との独特の緊張関係にある、ということをジャック・タミニオーという人は説得的に議論していて、そのことはハイデガーの「ナチス問題」と合わせて考えるととても興味深いのですが、それに触れるとまた長くなるので止めておきます。

こうして再び右翼と左翼の問題に帰ってきます。右であれ左であれ、それが本当に政治的なものであるのならば、理念を持つと同時に現実とのその都度の状況に合わせた「やりくり」を行なっていく必要があります。そして現実というのはほとんどの場合には途方もなく鈍重であって、理念が現実に働きかけうる程度というのはほんのささやかなものです。さらに現実は、さしあたりは理念とは関わらない種々の矮小な事柄を通してあっちにいったりこっちに行ったりしています。さらに、資本主義経済というきわめて大きな牽引力も存在しています。むしろ現在は、現実の変化はその牽引力に最も大きな影響を受けているようにも見えます。しかし、だからといって政治が無意味になるということはなく、むしろよけいに政治が必要とされるわけです。

理念による働きかけ、それはおそらく、月が海を引っ張るようなもので、現実という、引いては打ち寄せるそれぞれの波の動きを規定することはできないが、しかしその波打ち際をすこしずつ動かしていくのだと思います。月の遠大さと、潮の満ち引きのささやかさとのギャップをしっかりと引き受けた上で、理念と現実との「やりくり」に参入していくこと、これがさしあたり「政治的態度」というものじゃないでしょうか。 その点で、月を見ることのない「政治屋」も、月しか見ることのない「政治活動家」、「政治的態度」を有しているとは言えない気がします。

:追記
せっかくなので、理念と現実について書いている田中秀臣氏にトラックバックを送ってみる。
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20061203#p2