ムシャラフとの晩餐

いまさっき、NHKで「大統領との晩餐」という、パキスタン民主化をテーマとしたドキュメンタリー番組を観ました。これは去年の11月にBSで放送されたものの再放送なのですが、もともとは「デモクラシー・プロジェクト」というやつの一環として製作された十本の作品の一本であるようです。
このプロジェクトの詳細については↓を参照。
http://www.nhk.or.jp/democracy/about/index.html

「大統領との晩餐」というタイトルが示している大統領というのは、いうまでもなくパキスタンムシャラフ大統領です。世事に疎い僕からすれば、ムシャラフというのは「パキスタンを牛耳っている悪い奴」っていうイメージで、さらにいえば「アメリカのテロとの戦い」と「イスラム過激派への核流出の防波堤」というコンテクストのなかで、なんとか権力を手放さないよう奔走している軍人、という感じでしょうか。

ブット氏のパキスタン帰国から、先日起きた暗殺事件にかけて日本でもパキスタン関係の報道がそれなりにありましたが、それでも僕がムシャラフに持っていたイメージというのはおおむね上記のようなもので、それに加えてクーデターを起こして権力を掌握した、といったざっくりとした来歴を知っているくらいです。

さて、番組なのですが、はじめの方でそのクーデターをめぐる顛末が紹介され、僕はいきなり引き込まれました。時の首相シャリフがイスラム教の指導者との協議の末コーランを国の最高法典とすることを受け入れると同時に、そのとき飛行機でカラチに向かっていた軍部の最高司令官であったムシャラフを解任しまた空港への着陸を認めなかった。着陸することができずに空港の上空をムシャラフが旋回しているあいだに、将軍に忠実である軍人たちがクーデターを起こして空港を制圧し、ムシャラフは飛行機の燃料が残り6分しかもたないという瀬戸際でようやく着陸することができたのでした。もしクーデターが起こらなければ飛行機は墜落しムシャラフは死亡。パキスタンコーランを規範とするイスラム国家となっていたのでした。

ほとんど映画に近いこの緊迫したエピソードで思いっきり心をわしづかみにされたのですが、それよりもインパクトがあったのが晩餐の場面。この作品を制作した女性のドキュメンタリー作家(たぶんパキスタン人)がその協力者たちとともに大統領との晩餐に招待されるのですが、その場面がとにかく異色。すくなくともいかつい軍人というムシャラフのイメージしか持っていない僕にとってはそうでした。たとえばそこにはムシャラフの母親が同席し、息子の小さい頃のエピソードを語ったりする。公式なインタビューといった趣きではまったくなくて、親密な語らいの空気が流れているのです。ムシャラフの表情もとても温和で、とても軍人とは思えない。そのことがまず衝撃的だったのですが、そのうえムシャラフのきわめて知性的な語り口にも驚かされました。伏せ目がちに、しかしきわめて理路整然と自分の考えを語るムシャラフの姿は、軍人というよりはむしろ学者のように見えました。

あるサイトに、この番組でのムシャラフの発言が挙げられていました。
http://blog.goo.ne.jp/taraoaks624/e/38aefc4bc96b227c45e2a27c20d102a4
そのなかからそのひとつを挙げておきます。

パキスタン社会はもともと農業中心の封建的な社会だ。
なぜ民主主義が機能しないのか、分析の結果答えを見つけた。
まず民衆に民主主義の意識がない。
いまだに植民地時代の制度が残っている。
地方の役人や警察がボスのように地域を牛耳って管理運営している。
まるでゴッドファーザーだ。
市民には何の力もなく、支配者だけが権力を握っている。
まず市民に力を与えるべきだ。
また過去の大統領たちの大半が行った悪政も影響している。
歴史から見た現実だ。
パキスタンでは何か問題が起こると、誰もが必ず軍の司令部に駆け込んだ。
国民はパキスタンを救うのは軍だと思っている。
わが国の民主主義の不安要素はこの2つ。
人びとの軍への依存と封建的な社会です。
加えて女性の権利向上も必要だ。
女性に対する暴力など途上国に共通の問題があるが、女性の権利を向上させれば解決できるはずだ。女性たち自身が自分を守れるようになればね。
だからまず、女性や少数派を含む大衆の権利を向上させていく。

これは日本語の字幕を書き写したものだと思うのですが、英語での彼の語りは「一つ目は・・・、二つ目は・・・、三つ目は・・・」という風に、問題点を箇条書き的に一つ一つ挙げていっていました。先に挙げた親密な空気の中で、ムシャラフがとつとつとこのようなことを語るわけです。たいへん浅薄なムシャラフ像しかもっていなかった僕にとって、この姿はほとんどショッキングでした。

「大統領との晩餐」という作品のもっとも根幹的なテーマは、最初に紹介した「デモクラシー・プロジェクト」がそうであるように民主主義について考えることであるのですが、よりローカルには「軍人と民主主義」ということになるかと思います。ムシャラフは軍人であるにもかかわらずなぜ民主化を推進するのか。僕はこれまできわめて遠くから、「民主化」はムシャラフが自分の権力を守るために欧米向けに発信している方便でしかないと考えていました。日本のマスメディアでの報じられ方も、おおむねそういう観点を取っているように思えます。しかしムシャラフその人の言葉を聞くと、とてはそうは思えない。だからこそ、なぜ軍人であるムシャラフ民主化を推進するのか、という疑問がぐわんぐわんと頭に鳴り響いて仕方なくなるわけです。「大統領の晩餐会」を製作した女性ドキュメンタリストも、その作品のなかで繰り返しその点を自問し、また仲間と議論していきます。

この作品のよくできている点は、ムシャラフ大統領との晩餐会の場面と、パキスタン各地をまわって民主主義やムシャラフ大統領、イスラム教などのトピックについて尋ねて回る場面とが交互に繰り返される点です。ムシャラフの話は、理路整然としていながらもしかし欧米的な観点からすればどこか理解することがむずかしい要素がいたるところに垣間見えます。その難しさの意味が、作家が各地を回ってパキスタンの人の生の声を拾い上げていく場面がさしはさまれていくことによって、すっきりと理解されるわけではないにしても、その難しさの必然性というものは見えてくるようになります。

気になったところを挙げていけばきりがないので、僕がいちばん考えさせられた点だけを紹介します。ムシャラフは「改革」というものについて次のように述べていました。

社会を変えたければ急転換を強いてはいけない。
失敗する。
社会は段階を踏んで変わるものだ。
何代にもわたって緩やかに変化を遂げなければ。
指導者はそこを理解しつつ改革を推し進める義務がある。
賢いやり方だ。
一方イランを例にすると、イランの国王は40年間で近代化と西欧化を行った。建国2500年のときは限界まで西欧化されていた。
まるでイスラム教など存在しなかったかのようにイスラム色を消した。
国王はどうなった?失脚し国を追われたのだ。
つまり変化を押し付けてはいけないのだ。
教育によっておのずと変化はついてくる。
国民の殆どは読み書きが出来ない。
そして貧しい。
教育を受ければ貧困も解消され人びとは自由を手に出来る。
そうして近代化されていくのだ。
だから私は大多数を占める貧しい人びとから遠ざけたいのだ。過激派をね。

ここでは二つのことが述べられています。
1、改革はゆるやかに進められなければならない。
2、改革は教育を通して実現されていく。
この二つの主張には、「民主主義とは何か?」という問いの核心がすべてつまっているような気がします。僕なりに噛み砕けば、民主主義とは制度ではなくプロセスである、ということになります。その発想によれば、民主主義とはある時点で成立している社会制度のことではなく、社会制度がある「民主主義的」と呼ばれうるような手順を経て再生産されていくそのプロセスのことを意味します。そしてそこでは、その再生産のプロセスを担う諸個人の再生産も同時に進められる必要があります。つまり民主主義のプロセスは、制度の再生産であるだけでなく、その担い手の再生産でもある、ということです。この後者の再生産を考えるとき、教育というものが不可欠であることはいうまでもありません。

では、民主主義の担い手とはどのような人たちでしょうか。僕は最低限のものとして二つの要素を挙げられるのではないかと思います。
1、理解
まず、自分や周りの人々や社会の現状と、その現状を生み出している原因についてなんらかの理解をもっている必要があります。
2、表現
自分が理解しているものを、自分の外に表現することで社会のなかに流通させる必要があります。

「理解」のためにも「表現」のためにも、まずもって教育が必要であることは言うまでもありません。また「表現」のためにはさまざまな制度上のアシスタントも必要でしょう。たとえば表現の自由というものがそうですし、また選挙制度も表現の一種です。投票は、自分の意志を社会のなかに流通させることに他なりません。

また「理解」と「表現」が循環するものであることもいうまでもないでしょう。「表現」されたものは「理解」されなければならないからです。この両者がもっとも密接につながるのが、おそらく「対話」という契機になるのだと思います。

さて、では民主主義にはこの「理解」と「表現」が不可欠であるとするならば、現在のパキスタンの人々においてはどのような状況にあるでしょうか?もちろん結果は単純ではありません。作家が各地を回って浮かび上がらせるのは、きわめて入り組んだ困難な状況です。「女は家にいるべきだ」といいながらも、女性作家に対して「おれにも教育があればあんたみたいになりたいんだ」ともらす男性。浜辺でパーティーに興じながらも、近いうちに民主化に向けての革命が起こるはずだと語る女性。大統領の名前を知っているかと聞かれて「わからない」と応える老婆。さらにはコーランにおける女性の平等をめぐって意見が錯綜する長老たち。

多くの人たちがいるなかで、パキスタンと民主主義という点で僕がきわめて強い印象を覚えた二人の人がいます。一人は都市で働く40歳前後の女性、もう一人は田舎で暮らす70歳ほどの男性です。「あなたが大統領になったらどうしたいですか?」と尋ねられ、二人はそれぞれ次のように応えます。

女性は次のように答えます。
「この国では五歳の女の子を、大人たちで話し合って80歳の老人に嫁がせる。それが問題なのよ。大統領はこういうシステムを変えなければならないわ」

他方の男性は次のように答えます。
「貧しいものにはわからない。神は人間に忍耐力を与えたもうた。神が望めば人間は幸福になれる」

「大統領との晩餐」という作品は、この男性の発言で締めくくられます。僕はきわめてシンプルに、そもそも自分が国のトップになったらどういう社会にしたいだろうかと考え、そして多くの日本人はどのように考えているのだろうかと考え、さらにはそもそもなにか考えをもっているのだろうかと考えたのでした。おそらく、「政治家になったら社会をどうしたいか?」という質問に対する答えは、民主主義の根幹を成す「表現」のもっとも基本的な形式であるのではないか、と僕は考えたのでした。これはまず、安穏と日本で暮らす日本人としての感想でした。

しかしそれ以上に僕は、そこから遡ってムシャラフ大統領の発言を思い起こしました。ムシャラフイスラエルでは過激派政党のハマスが民主的に選出されたにもかかわらず、国際社会からは「これは民主主義ではない」と批判されたことを喚起しながら、おおむね次のように述べていたのでした。

「もし政府が貧困を減らし、失業を減らし、人々の生活を向上させているのだったら、その改革を維持するように投票して欲しい。しかしそれでも人々がイスラム過激派に投票するのだったら、私はそれに従う。国際社会は賛成しないかもしれないがね。」