ブータンとその国王

朝日新聞に、ブータン民主化についての記事が載っていました。それによると、ほとんどの民主化が権力者に対する民衆からの圧力や、さらにそれを支える外圧によってもたらされてきたものであるのに対して、ブータン民主化は絶対権力者が自発的に権力を放棄し民主化の道を進んでいった世界史上でもきわめて稀有な例であるとのことです。

その稀有さを象徴する話として、たとえば次のようなエピソードが挙げられていました。民主化の必要を説くために国を行脚して回っていたジグメ・シンゲ・ワンチュク国王に向かって国王制を存続してくれるよう泣いて頼む民衆に対して、国王は「悪い王のときにでもちゃんと国民が幸福になれる制度が必要なのです」と縷々説いて回ったそうです。

このマンガみたいなエピソードに感銘を受けてちょっと検索してみたら、いぜん世界銀行の副総裁として働いていたらしい西水美恵子さんという方の講演の文章がみつかりました。
http://www.rieti.go.jp/users/nishimizu-mieko/index.html
たぶん、ブータン民主化とまたその民主化を先導していった国王について理解するためには、これ以上わかりやすい文章は存在しないのではないか、と思われるくらいとても素晴らしい文章でした。どこをとっても目からウロコの内容なのですが、たとえば指導者の仕事について説明する国王の言葉を西水さんはつぎのように紹介しています。

指導者として成功したいのならば、自ら進んで権カを放棄せよ。指導者の成功とは、自分がリーダーとして必要なくなる時である。それを目指して、権力には絶対にこだわるなといつもおっしゃる方です。

ほんとマンガの主人公みたいです。他にも、たとえばブータンにおける教育のあり方については次のように紹介しています。

ブータンの教育制度の要は、教師の育成です。教育とは何かということに対しての考え方は、知識を与えるものではない。教師が、生徒の人間としてのロールモデルとなるべきである。教師とは人格者でなければいけない。教師はブータンの将来をなす人間をつくるモデルなのだから、人格者を育てて、そういう人たちに教壇に立ってもらうという考え方から始まるわけです。

生徒に知識を与えるのが教育ではなく、教師の人格を育てその教師を子供たちの前に立たせてロールモデルとするのが教育である、というわけです。

ブータンは、その国土面積は九州と同じくらいで総人口は67万人ほどの小国であるらしいのですが、にもかかわらずブータンが周囲の国からもきわめてきな尊敬を集めている、ということも西水さんは触れています。前国王が教育用の言語として国際的に通用するものとして英語を選択し、それゆえ教育を受けた人間はみな英語に堪能であるということもあるのですが、なによりもにもその素晴らしい統治体制ゆえに、ブータンの指導者を迎える外国の指導者は、同じ指導者として大きな敬意を払われる、というのです。西水さんは、インドのシン首相から聞いた話を紹介しています。

私は、中国はあまり仕事をしたことがないのでよく知らないのですが、インドの場合は、国王のカウンターパートという人たちも知っていますから、どうしてこういう接待の仕方をするのかと聞く機会がありました。こういう指導者が大勢いる国はあまり見当たらない、とにかく尊敬をしているからだ、と言うのです。ブータンを小国とは思っていないと、インドのシン首相もはっきりしていました。

日本にもこんなリーダーが欲しいです。
とにかく、ぜひぜひリンク先の文章を読んでみてください。