思い出し笑いの形而上学

帰りの丸ノ内線。平日の夜は座れないので立っていたのですが、目の前に座っていた女の人がどうも気になる。というのも、それとなく手で口元を隠しながら、どうやら繰り返し思い出し笑いをしているようなのです。何を思い出してるんだろうと気になるわけですが、それと同時にこんな格言を思い出しました。「思い出し笑いをするやつはエロい」。

どうして思い出し笑いをするやつはエロいということになるのだろう、と脳内トピックが飛びます。まず思いつくのは、思い出し笑いをしている人はエロいことを思い出して笑っているに違いないからそいつはエロいのだ、という論法です。いわゆる「思い出す内容説」ですね。が、これはどうにも飛躍がある。思うに、思い出し笑いの大半はエロとは無関係です。もしこの論理が「思い出し笑い=エロ」という定式の基礎づけているなら、この定式を考えたやつこそがエロいのです。そいつが思い出し笑いをする時にはいつもエロいことを考えているから、他に思い出し笑いをしている人を見ると勝手に「ははぁーん」と独り合点するわけです。

さらに、「思い出し笑い=X」という定式が思い出し笑いの内容にかかわるのであれば、その「X」には「エロ」以外のことが代入されることがあっても良さそうなものです。共産主義者は人が思い出し笑いしているのを見て、「ははぁーん、世界革命の成功を想像しているな、こいつは同志だ」と思うわけですし、オウム信者は「ははぁーん、最終解脱を想像しているな、こいつは仲間だ」と思うわけです。とすれば「思い出し笑い=アカ」、「思い出し笑い=オウマー」などといった定式があってしかるべきであるのに、管見する限りでは寡聞にして聞きません。とすれば、「思い出し笑い=エロ」という定式の根拠は、思い出し笑いの内容とは関係ない、と考えるのが自然です。

とすれば次に思いつくのは、いわゆる「想像力原因説」です。思い出し笑いをする人は想像力が豊かである。想像力豊かな人はエロい。ゆえに思い出し笑いする人はエロい、という論法です。しかしだとすれば、詩人なんかは極エロってことになってしまいますねえ。まあいいか。いろいろ考えてみた結果、「思い出し笑い=エロ」という定式の根拠はこの「想像力原因説」である、というのが有力であるように思えます。フロイトさんも同意してくれそうですし。

ただ、そこで思い出したのが別のエロ定式です。いわく、「ほっぺの柔らかいやつはエロい」。これは、素直に考えればこういうことでしょう。「ほっぺの柔らかい=いつもニヤニヤしている」という連想が働いている、と。そして思い出し笑いと同じ理由でそれがエロと結びつけられる。しかし、これでは教科書に載っている通りで何の面白みもない。そこでぼくは新しい仮説を考えてみました。

じつは想像力の材料はほっぺたであり、ほっぺたが柔らかいとそれだけいろいろな想像にそれを用いることができる。実際に想像を働かせるためにはたんに想像力だけではなくその材料も必要であり、豊かな想像を実現するためには豊かな想像力とともにゆたかなほっぺたも必要であるというわけです。これをアリストテレスが『形而上学』で説明している四原因論に照らし合わせれば次のようになります。

作用因=想像力のつよさ
質料因=ほっぺの柔らかさ
形相因=想像された内容
目的因=エロの欲求を満たすこと

これらの四原因が合わさってエロい想像が実現する、というのが僕の説です。そしていうまでもなく「思い出し笑い=エロ」がエロ想像の作用因、「ほっぺの柔らかさ=エロ」がエロ想像の質料因に関係しているわけです。とすれば、形相因と目的因に関しても同様の定式が存在してしかるべきです。残念ながらぼくには思いつきませんが、おそらくどこかに存在するか、あるいはいつかかならず発見されるでしょう。メンデレーエフの元素周期表が、いまだ発見されていない元素の存在を見事に予言していたように、エロ想像の形相因と目的因に関する定式が見つけられるのも、そう遠くはないかもしれません。