● 『「読者」の誕生』 香内三郎
◎ イメージ論の先駆としてのダマスカスのヨハンネス
・・・プラトン的な画然としたオリジナルとコピーの二元論ではなく、物的媒介としてイメージを想定する。
「われわれ死すべき人間はふつう、中間媒介なしに神の直接コミュニケーションを受け取ることはできない。なんらかの物的媒介なしでは、それは不可能である、とヨハンネスはいう。」P39
→ ● ドゥブレ 『イメージの生と死』「まずは彫像、続いて絵画となるイメージは、その起源において、また機能において、生者と死者、人間と神の媒介役なのである。共同体とコスモロジー、可視の主体からなる社会とそれらを従属させる不可視の諸力の社会との媒介役だ。」P27
・またここでもドゥブレにおいてと同様に、中世・キリスト教の文化においてイメージ的表現にいわゆる「芸術的」価値は見出されていなかった、ということが述べられている。(P37、38)
・二つの年号、第2ニケア公会議787年と843年(第九回公会議?P36)
※最古のメディウムとしての記憶
///
● エドガール・モラン 『スター』
「スターは一九一〇年に、アメリカにおけるはじめての映画会社の激烈な競争から誕生した。」P122
◎ 俳優と人物
・・・演技の主体であるところの俳優という存在は、登場人物を小道具のように配置しモンタージュすることを化膿する映画というメディアにおいて、本来的に縮減されざるをえない。その一方で、投影による同一化の対象となるスクリーンとしての形象として、「人物」というものが浮かびあがってくる余地がそこに生じる。それがすなわち、スクリーンに遮られつつもその向こう側に存在するはずの、日常のなかにいる生身のスター、という想像的地点である。P138あたり
△ マスクと自然らしさ