シンボリック相互作用論

● 『シンボリック相互作用論の世界』 船津衛・宝月誠編
・ミードから始まるシンボリック相互作用論、シンボルを通しての他者との了解関係の展開から出発するこのジャンルは重要だと思われる。ミードに関して言えば、「プレイ」から「ゲーム」への発達的過程、「自己表示」、「一般化された他者」の概念。
・・・他者からみた自己像を自分自身に表象することで「自己」なるものが生じていくという基本的出発点。そしてまた他者の地位が、インティメイトな存在から大文字の他者へと発達的に進展していく、という順序。おそらくシンボリック相互作用論に広く適用可能だと思われる批判として、自己の形成における循環論法。ラカンのいう「論理的時間」を考慮する必要があるだろう。
→ ● ジャック・ラカン 『エクリ』

・平行して、ターナーの「自己イメージ」と「自己観念」、「制度的自我」(=リースマン、「内部志向型」)/「衝動的自我」。
・・・「制度的自我」=近代的自我の統制がゆるんで「衝動的自我」が前景化していくという単純化された時代変遷物語では、ここで「衝動的自我」と述べられている領域においてもやはり「他者」への準拠は消滅しないという点が看過される。むしろポイントは、準拠となる他者が複数化したこつぼ化していくという点だろう。

・T・シブタニの議論は、ハーバーマス的な了解とは距離を置いて、疎遠なものとしてのシンボルとの折衝に着眼していると思われる点で発展性があると思われる。
→ ● 『流言と社会』 T・シブタニ

・ゴフマンのフロイト精神分析批判。社会的構築物である逸脱を個人心理のメカニズムへと実体化してしまっているとのこと。
・・・その限りでは妥当だろう。ただ、ラカンによって発展させられたシニフィアンと他者の精神分析の文脈までを考え入れれば、ゴフマンの批判ではこぼれ落ちてしまうものがあまりにも多いだろう。症候は、措定された正常性の失敗ではなく、社会という大文字の他者の領域に参入するという事態から構造的に生じるものである。ゴフマンがアンチ精神分析の立場を示すものとして持ち出す「状況的不適切行為」は、ラカン精神分析に対立するというよりは、むしろそこに包摂される。他者の領野においてなにが「状況的不適切行為」とされうるのか決定的には知りえないという根源的状況こそが精神分析的なトラウマの条件である。
→ ● ゴフマン 『アサイラム
・ゴフマンにおける三つの自己(P78、79)
1、「状況の関数としての自己」・・・おそらくミードの「自己表示」の対象となるような自己
2、「プレゼンターとしての自己」・・・1の自己を引き受け具体的状況のなかでそれを運用していく自己
3、過剰なものとしての自己・・・社会的連関のなかで排除していかなければならないものとしての自己
と、この三区分もまたラカン的に把握し直すことは可能だろう。しかしまた一方で別の参照も可能か。
→ ● 鷲田清一 『顔の現象学』 十二章 アウグスト・ザンダー (P207など)
・・・この本では顔は、現象→非現象→(超)現象といった道筋をたどる。つまり現象としての顔から彼岸としての他者の顔を経由して、最終的にはその他者の顔と対峙する自分自身の顔へと還ってくる。この帰還の過程は、むしろラカン的な論理的時間として、つまり他者の顔を大文字の他者の眼差しとして理解することが可能だろう。いずれにせよ、ここでのアウグスト・ザンダーについての分析は非常に面白い。鷲田清一の文脈に即するならば、コフマンの議論に内在しているといわれる過剰なものとしての自己とは、他者に対して自己を有意味なものとして呈示するその際に、不可避な過剰としてどうしても現われでてしまう「沈黙」として理解されるだろう。

● A・L・ストラウス 『鏡と仮面』
・他者の眼差しの対象となる物としての名前への着目。
・また、シンボルを通しての折衝が生じる言語という舞台の強調。
・さらに、アイデンティティー戦略としてレトリックをヘゲモニー闘争として理解する。
・・・有名性とレトリックの関係へと広げることができそう。
→ ● 佐藤信夫 『レトリックの消息』
・二重の投資、自己犠牲にまで至るコミットメント(第二章)
「行為は単なる振る舞いの方法だけではなく、存在の仕方でもある。」(ケネス・バーク 『動機の文法』)

● ジャン・ボードリヤール 『物の体系』
・「機能」なるものが支配的になっていくという観点→機能のエージェントとしての人間
・機能=雰囲気のセット
・・・象徴的な共同体効果が消失し機能が前面に出てくるようになると、それぞれの動機付けもまた象徴性を喪失し「雰囲気」が登場してくることになる。そしてまた雰囲気は、機能を背後で可能としている諸々の装置を隠蔽しそこで生じている事態を自然化するというイデオロギーとして機能すると理解される。
「われわれが雰囲気と呼ぶものは、物のレヴェルにおける、この体系的文化性である。」P53
・また、機能的かたちは、「失われた象徴関係の模造物」(P65)をコノテートすると述べられる。
・・・この議論は●『象徴交換と死』におけるファルスのイメージや、さらにはラカンのラメラ(●『精神分析の四基本概念』)とつながっていくだろう。
・・・総じて、「機能」=「雰囲気」のセットは、有名性を駆動させる動員として理解することもできそうだ。