観察

● 『観察者の系譜』 ジョナサン・クレーリー
フーコーの考古学的手法を踏襲。
カメラ・オブスキュラから写真へという単線的な進化論と距離を置き、その間(1820年代頃)に生じた認識論的な断絶に焦点を当てる。
カメラ・オブスキュラの時代=デカルト的光学モデル
→主体と客体との截然たる区別、隠蔽された盲点としての観察者=超越的普遍的実体としての観察。
・コードの不安定化と、それに対するリアクションとしての規律訓練
→観察行為の主観性(偶有性)が前景化するとともに、観察行為そのものが操作の対象として立ちあらわれる。
     ↓
このことは、いくつかの帰結とともに語られる。
1、視覚に関する幾何学から生理学への移行
2、模倣から表現へ
3、隠蔽される盲点から視覚そのもののパラドックス
→たとえばJean-Luc・Marion "la croisee du visible"
4、主体と客体の分離からスペクタクル的状況へ。
● ギー・ドゥボール 『スペクタクルの社会
● ジャン・ボードリヤール 『象徴交換と死』(シニフィアンの流動化)
・・・この4については、視覚と触覚との関係としても語られる。クレーリーの整理では、カメラ・オブスキュラ的な観察において、視覚は触覚そのものとして把握されていた。(P92)このような整理で念頭におかれているのは、実体として把握しうる「延長するもの」(レス・エクスタンサ)と「思惟するもの」(レス・コギタンス)との区別だと思われる。しかし、●ベンヤミンの『複製』や●レジス・ドゥブレの『イメージの生と死』との関連で考えるならば、視覚=触覚/実体=外延とのセットからそれ自身で完結している視覚/触覚への移行として捉えた方がよい気がする。
「忍耐を要する抽象化の回り道を無効とし、真理が対象に内在するかのごとく見なすのが、映像圏に固有の認識論的な幻想なのだ。」『イメージの生と死』P425
イメージが演出する隔たりを無化して、映像の表面そのものを対象とするヴィジュアルへの移行、視覚の触覚化。
・・・またこの全体のながれも、観察の主語が脱実体化されここの観察者へと世俗化されていく過程として、ルーマンのモデルに基づいて理解できるだろう。

※メモ
・芸術史が19世紀になって初めて登場したという事実は、美術館というシステムが18世紀の後半に出現したことと連続性をなすのだろう。ルーマンによれば美術批評家という存在は、芸術の流通の経路がパトロンシステムから市場システムへと移行することによって、芸術商品の品質保証の必要性とともに生じてきたのだったが、美術史はさらに下って、美術館システムが形成されていくとともに「古典」を制定することの必要が生じたことによって可能となったのだろう。もちろんここには美術館というメディアのみではなく大量複製メディアも関与してくると思われる。

カメラ・オブスキュラと幻灯術・・・禁欲的プロテスタンティズムアタナシウス・キルヒャー
精神のモデルとしてカメラ・オブスキュラのカウンターとして、映像享受の技術としての幻灯術。
→ここには、一種の映画の先取りを見て取れないこともない。

フーコーの規律訓練の図式とドゥボールの「スペクタクル」をそのままつなげるのは難しいだろう。


● ルネ・ジラール 『欲望の現象学
「情熱」と「虚栄」の対比。
ジラールにとっては、他者の欲望であるところの欲望を通り抜けたあとの、平穏そのものである情熱=美的な至福感が倫理的な着地点として想定されている。
さらには、セルバンテススタンダールフローベールプルーストドストエフスキーといったように、媒体がより内側に近づいていく一種の進化的図式が前提とされている。