香内三郎 『「読者」の誕生』

カズイストリーと相談欄

宗教的な原則とその日常生活での応用とを媒介するカズイストリーというジャンルは、「嘘」や「擬態」というテーマのもとですでに旧約、新約聖書のなかに見出されるとともにアウグスティヌスをはじめとするさまざまなコメンタリーをとおして涵養されていた(P424〜)。15世紀から17世紀の宗教改革の時代において、カズイストリーがへの要求が高まっていくことになる。ヘゲモニックな宗教(カトリックであれプロテスタントであれ)との処世上でのふるまい方の指針という要素と同時に、日常における振る舞いに対する反省性の増進としてこの自体を理解することができるだろう。
      • ただし、カトリックとプロテスタンの両者の間にははっきりとした区別をおくべきではあるだろう。いうまでもなく、カトリックが外面上の振る舞いを強調するのに対しプロテスタントは外面と内面の一致をストイックに追求していくわけで、この両者の違いは看過できない。言葉遣いとしては、カトリックにおいて「カズイストリー」、プロテスタントにおいては「ケース神学」と呼びわけるのが正しいのだろうか。
とにかく、従来までは暗黙のものとして了解されていた指針が揺らぐことによって、そこに生じた不確定性を処理するものとしてあらたな基準が求められることになる。カズイストリーへの要求の増進は、抽象度を挙げればこのように要約できるかもしれない。
      • ここにおいて、権威付けの二重化というものが生じている、と考えることはできないだろうか。つまり
神父と牧師とで当然ながら位置づけは異なるだろうが、宗教的な大原則とは別の次元に、ミクロな権威付けの主語というものが不可避に想定されることになる。カズイストリーそのものが大原則となることは原理上不可能である。ただしカトリックの場合は、そもそも告解という制度において神父が自身の裁量で信者の罪を許すことが可能であったためカズイストリーも制度的に回収しうると考えられるが、一方のプロテスタントにおいてはそれが原理的に不可能となる。というよりもそもそもプロテスタントにおける大原則は内面を通して神の声(=良心)と直接に向かい合うという点にあるのだから、大原則とその妥協、という図式自体がはじめから成立しえないようにも思える。あるいは、聖書の解釈という拠り所はあるわけだから、特定の局面において、融通を利かせた解釈を使用することでカズイストリー的なものに対する要求を満たすのだろうか。あるいは、そのような解釈では対応できないような事例に対して牧師が苦渋のアドバイスを下す、という形があるのだろうか。とするとその際の牧師のアドバイスはどこに正当化の根拠を置きうるのか。ここにおいて、根拠づけられないアドバイス、といった浮遊した要素が出現すると思われるが、これは同時に、権威付けの世俗化の端緒となりうるように思える。つまり、聖書に依拠できない領域において、その他のゆるい領域(常識や伝統?)から権威がアドホックに借り受けられる。そしてさらに、このようなアドホックな権威というものが自律的な領域を形成し始める。たとえば知識人。
    • ここに、カズイストリーから雑誌、新聞などにおける相談欄へのつながりというものを想像することができそう。

具体的な接続・・・17世紀末のダントンによる「アゼニアン・マーキュリイ」

はるか後世、19世紀後半の雑誌に出現する「質問ー回答」形式の先駆的な形式としてこの「アゼニアン・マーキュリイ」はとらえられているらしいが、たしかのそこには、いくつかの象徴的な特徴があらわれているように思える。

質問の多くが一人称で、かなり細かに自分の置かれている状況と問題とを述べ、回答もいままでのカズイストリー、ケース(実践)神学のマニュアルを参照しながら、この場合にはこう考える、こう行動すべきだ、とするものが多かったからである。P481,483

1、一人称が具体的な状況に置かれて考えられる・・・近代的主体への接続?

また、この創始者であるダントンは、その自伝のなかで、ある問題(たぶん、女性問題)でずっと悩んでいて、よほど牧師に相談しようかと思ったが、自分と相手の名前を明かすことができない。すっと考えていたが、ある日突然、匿名の手紙を受けて、それに回答する媒体、という着想が浮かんだのだと細かに述べている。P482

2、匿名性という要素

      • そして同時にこの匿名性という要素は、教会(or神父)や牧師といったキリスト教の文脈の外に置ける行為の指針提供の可能性を潜在的に準備している、と考えることができるかもしれない。
        • もちろんこの匿名性を可能にするのはメディア的要素であり、ここにも出版と近代的主体とのつながりを見出せるかもしれない。