◎ マーク・ポスター 『情報様式論』
マルクスの「生産様式」に向こうを張って「情報様式」という概念を持ち出してくる。そのことによって、それぞれ特定の情報体制をもっているという「情報様式」の歴史的変遷とともに、現時点でのポストモダニズム的な主体の地位を形作る特定の「情報様式」を指示しもするという二重の用いられ方。シミュラークルや自己指示性というポストモダンなキーワードがちりばめられる。
☆ 第一章 ポスト産業化社会の概念
「言語的事実」としての情報
ベルがポスト産業化社会というキャッチフレーズとともに呈示しているのは、かつての全体化モデルにあらたに知識や情報という新しい語彙を代入しているにすぎない、とポスターは批判する。さしあたりその批判の要諦は次の点にあるように思われる。
↓
(ベルは)情報を言語的事実としてではなく経済的事実として取り扱うことによって、ポスト産業化社会の理論は、電子的テクノロジーによって開かれた、情報の撒種という新しいコミュニケーションの可能性への問いをうやむやにしてしまう。資本主義ができる限り多くの情報を市場法則の網のなかに飲み込むことはたしかに真実だが、言語的現象としてとらえられた情報の新しい構造は、社会におけるコミュニケーションのパターンに変化をもたらし、その社会のなかでの主体の位置を変動させるのである。P51
▼ ここには、言語というものを主体化のアリーナとして理解するとともに、ポストモダンの「情報様式」において、その言語が情報という形でまったく新しく編成し直されている、という認識がある。この、情報というものを主体化のアリーナという観点から捉えるという発想は重要になるだろう。
マルクス批判
マルクスの出発点は労働価値説であり、そこから搾取の物語が可能となるわけだが、科学の進歩と機械の性能の向上はこの物語に亀裂を入れる。すなわち、機械の生産能力の向上とともに生産される価値における人間の労働量の関与が相対的に低下するわけであるから、労働者の(肉体的)労働と生産される価値との間を確定的に測定することが不可能となる。とすると、ここには人間の労働力というものに準拠しない、科学的発展に伴い自律的に進展する価値産出の領野が存在することになる。このことを、情報が主要な商品となっていくことに直接接続することはできないが、ポスターは科学というものが本来知識と情報であるとのべることによってこの接続を暗示する。科学と商品としての情報、というものからはさらにいくらか距離があるが、生産中心から消費中心という重心移動もまた当然ながら考慮されねばならないだろう*1。
↓
▼ 価値産出における科学の介入を、言説の次元の介入として理解することによってマルクスを批判するポスターの発想は面白い。