スティグレールの痕跡の戦略

お知らせです。

最近、ついに主著の『技術と時間1 エピメテウスの過失』の邦訳が刊行されたスティグレールですが、12月19日に来日し、シンポジウムに参加します。今回は、メディアアートをめぐる連続シンポジウム「メディアアートとは何か?」の一つにスティグレールが参加する、という形になっています。

スティグレールは、デリダの弟子としてはきわめて必然的な成り行きですが、「痕跡をめぐる哲学者」です。ただしそこでは「痕跡」は、「記憶と技術」とのカップリングの在り方という観点から捉えられています。スティグレールにとって技術とは、人間独自の記憶の系列を保存、伝達、差異化させていく、いわば記憶痕跡の系統をなすものであり、それをスティグレールは後成系統発生的記憶と呼んでいます。

同じくデリダの弟子であるカトリーヌ・マラブーとともに、スティグレールは言ってみれば「新たな唯物論」の再構築を試みています。「マテリアリズム」に「唯」物論という訳語を当てらてきたというのは時代的な制約の現れですが、新しいマテリアリズムは、「物質しかない」という古臭い唯物論(ただものろん)ではなく、心であれ観念であれ、いかなるものも物質的なインフラなしには成立しえない、という観点から出発する発想です。そこで問題となるのは、「心か身体(物体)か?」ではなく、身体(物体)はいかにして非身体(物体)的なものを生み出すことができるのかという点です。

心と物とはそれぞれオーダーの異なるものですが、しかし不可分に結びついています。この両者の関係性を捉えるための概念が「痕跡」です。「痕跡」というこの言葉には、「跡を残す何者か」と「跡を保持するモノ」、という差異に加え、「かつて残されたものである」という遅れの時間が含まれています。スティグレールは「痕跡」をめぐるこれらの諸相を、「誰」と「何」との「遅れ」を通した関係、という形で定式化していきます。

「誰」すなわち人間は、あらかじめ残されている諸痕跡という「何」に触発され、またそこに新たな痕跡を加えていく、という際限のないプロセスを通して進化していきます。もちろんそこで進化するのはさまざまな身振りや道具だけではありません。象徴やイメージという痕跡と結びつくことで、「心」の領域もまたそれぞれの進化を遂げていきます。

スティグレールが文化産業を批判するのは、心の痕跡の産出プロセス(それは同時に心の産出プロセスでもある)が産業の論理に取り込まれることで、そのプロセスそのものが長期的には機能不全に陥っていく、と考えているからです。このとき、そのような取り込みの手段となっているのがさまざまな表象テクノロジーあるいはコミュニケーションテクノロジーであり、だとすれば文化産業批判は、同時にテクノロジー批判でなければなりません。もちろんここで批判というのは非難ではなく、カント的な意味での「可能性の条件の洗い出し」のことです。

メディアというのは定義上透明なもので、それをを利用しているときには基本的にはメディアは意識の前景に現われてくることはありません。「テレビを見る」というとき人々は、装置としてのテレビを見ているわけではなく映し出されている番組を見ているわけです。メディアは透明化していればいるほど効率的に機能するのです。

メディアアートというジャンルは、新たなテクノロジーを用いて痕跡を産出していくという点で、文化産業とは裏表の関係にあります。しかしメディアなるものとの関わり合い方は、ある意味では正反対だと言えるかもしれません。というのもメディアアートは、痕跡を生み出すものとしてのメディアを意識的に前景化させようと試みるからです。図式的に述べるならば、文化産業が産業的動機からメディアを人々の意識から隠していくのに対し、メディアアートはそれを人々の意識にもたらそうとする。

なんだかいつまで経っても本題にたどり着けそうにないので、一気に結論に行きますが、言いたかったのは、技術やテクノロジーから出発する「痕跡をめぐる哲学者」たるスティグレールメディアアートについて語ことには、きわめて本質的な必然性があるということです。

『象徴の貧困』の未邦訳の第二巻でスティグレールは、ヨーゼフ・ボイスを引き合いに出してみずからの手で触れることあるいはみずからの手で書き込むこと、という芸術の原初的な物質性について論じていました。では、現代メディアといういわば直接には「触れる」ことのできないモノに対して、スティグレールはいかなる痕跡の戦略を企てているのか。

シンポジウムの詳細は以下になっています。先着順らしいので、興味のある方はお早めに。

                                                                                                                            • -

12/19(土)東京大学大学院情報学環× 東京藝術大学大学院映像研究科× 仏ポンピドゥー・センターIRI国際シンポジウム開催のお知らせ

このたび、東京大学大学院情報学環石田英敬研究室では、
ベルナール・スティグレール氏(仏ポンピドゥー・センターIRI)、
藤幡正樹氏(東京藝術大学大学院映像研究科長)とともに、
下記のような国際シンポジウムを開催いたします。

皆様お誘い合わせのうえ、多数のご来場をお待ちしております。

==============================

東京大学大学院情報学環× 東京藝術大学大学院映像研究科
× 仏ポンピドゥー・センターIRI

国際シンポジウム開催のお知らせ

 「メディア・アートとは何か?vol.5
  ――ハイパー産業時代のクリエーションとクリティーク」

==============================

■概要:

ベルナール・スティグレール × 藤幡正樹 × 石田英敬

文化産業とコミュニケーション・テクノロジーにより人間の意識が
生み出され、ユビキタス化された「新たなモノ」たちのネットワーク
が人々を取り巻き、精神のテクノロジーが人々の生を管理する
「ハイパー産業 時代」における、<芸術の問い>とは何か?

どこに私たちの知覚的痕跡を求め、いかなる技術を設計することに
より、どのように感性的経験を総合すれば、私たちは、新たな
<誰>と<何>を 生み出すことができるのか?

それこそが、私たちが今問おうとする「ハイパー産業時代」におけ
る、新たな「創造と批評」の問いである。

東京大学大学院情報学環東京藝術大学大学院映像研究科では、
「メディア・アートとは何か?」をテーマに連続シンポジウムを開
催してきた。今回、第三の連携先であるフランスのポンピドゥー・
センター文化開発部長でIRI所長の哲学者のベルナール・スティグレール
を招聘し、芸術作品の創造と受け手、享受の時間と空間、テクノロジー
と新しい批評の可能性、文化産業と資本主義の未来をめぐり徹底討議
を実施する。


■主催:東京大学大学院情報学環
http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/

■共催:
東京藝術大学大学院映像研究科
http://www.fnm.geidai.ac.jp/

IRI / Centre Pompidou
http://www.iri.centrepompidou.fr/

■日時:2009年12月19日(土)14時00分〜19時00分

■場所:東京大学 本郷キャンパス
    大学院情報学環・福武ホール 福武ラーニングシアター
http://fukutake.iii.u-tokyo.ac.jp/access.html

■定員:180名

■同時通訳つき

■入場:無料

■参加申し込み:
mediaart@nulptyx.com
・事前のお申し込みが必要です(先着順)。
・件名をあなたの氏名にして、上記アドレスまで、
 メール本文に氏名、ふりがな、所属を記入してお送りください。

■お問い合わせ・プレス窓口:
publicity@nulptyx.com
*申込用アドレスではありません。
tel/fax 03-5454-4939(東京大学大学院情報学環 石田英敬研究室)