twitterとアテンション・キャピタル


有限なものがあるところには、必ずエコノミーがあります。たとえば鉱物資源であれば、埋蔵量も、発掘に必要な資本(生産資本や労働資本)も、流通システムが許容する流通量も、精製能力も有限であり、さまざまな配分=エコノミーがそこに生じることになります。あるいは少し前に将棋に関して書いたように、人間が有する時間は有限であるため、そこにはさまざまな配分=エコノミーが存在します。

有限な資源の節約=配分としてのエコノミーは、そもそも人間という存在が有限であるがゆえにあらゆるところに存在し、それらは必ずしも狭義の経済に関わるではありません。しかしその一方で経済システムの進化は、さまざまなエコノミーを次から次へと狭義の経済、つまり貨幣を媒介とする経済へと組み込んでいきます。大まかには、第三次産業(あるいは第四次、第五次産業)は、物質的な資源に限定されない、人間の生活にまつわるあらゆるエコノミーを貨幣経済に組み込んでいくものである、と言えるかもしれません。

認知資本主義(cognitive capitalism ; capitalism cognitif)という言葉は、資本主義の発展における最新の段階を示すものだと言えると思います。はてなキーワードの説明がやたら充実していますが、自分なりに乱暴に要約してしまうと、IT環境によって、コミュニケーションや情報処理といったものが微細に扱っていけることになったことによって生じたエコノミー、といったところかと思います。知やアイデアといったものが経済的な生産性の中心に位置しはじめたのは何も今に始まったことではないですが、それらが近年のIT技術の発展によって新たな段階に入った、とするのが認知資本主義という概念なのだと思います。

ではどういう点でそれは新しいのか、ということなのですが、少し前にベストセラーになったクリス・アンダーソンの『フリー』で紹介されていた「フリーミアム」という考え方が参考になるかと思います。もちろん、商品のサンプルを無料で配ってその商品の認知度を上げる、ということは昔からされていました。しかし、ソフトウェアのように商品が純粋にデータという形式をとっている場合、頒布に際しての限界費用(最低限必要とされるコスト)が限りなくゼロに近くなり、そこには新たなビジネスモデルが可能になります。具体的には、ソフトウェアの基本機能はすべて無料でダウンロードして使えるようにし、そのなかで5%の人が追加機能のためにお金を払ってくれれば、ソフトウェア開発に投資された資本が回収できる、というモデルです。

詳細については本を読んでもらうとして、フリーミアムのモデルで面白いのは、そこではエコノミーの場所が決定的に移動している、という点です。人々のアテンション=注目を集めるということはこれまでもつねに重要でした。ただしそこには必ず、アテンションを集めるための狭義のエコノミーが存在していました。たとえば化粧品のサンプルを配るのには人件費も含めて相当のコストがかかるわけで、アテンションを集めるためには、まずはそのための資源の投下に際しての配分=節約というエコノミーが介在したのでした。しかしアンダーソンが紹介しているフリーミアムという戦略が体現しているのは、それとはまったく異なる事態です。

ネット上でソフトウェアを頒布するという場合、そこでの限界費用は限りなくゼロに近くなります。このことはつまり、そこにはエコノミーが存在しない、ということを意味します。正確に言えば、そこではエコノミーの場所が移動します。というのも、ソフトウェアを頒布することそのものにはもはや有限性は足かせとはなりませんが、今度は、そのソフトウェアに向けられるアテンション=注目の有限性が前景化してくることになるからです。

一人の人間は一日に24時間しかもっていません。広い意味でのデータの頒布に関する有限性が取り払われると、今度は人間がもっている時間の有限性がエコノミーの舞台として現れてきます。感覚的に書いてしまいますが、かつては人々には時間が余っていて、相応のコストを払えば人々のアテンションを集めることができました。しかし今では人々に時間は余っておらず、それゆえアテンションを集めるためのハードルはどんどん高くなっているように思えます。単純な例ですが、ネット上でのブラウジングやコミュニケーションで忙しくテレビを見る余裕がない、という人は急激に増えているかと思います。ネット上で無料のデータが大量に流通することによって、そのデータが占有しようとする人間の意識の有限な時間こそが、もっとも希少な資源となってきているわけです。

と、検索してみたところ、東浩紀氏による「アテンション・エコノミー」についての簡潔なまとめがありました。

デジタル技術の発達によって情報財の複製コストがゼロになり、価値が希薄化する一方で、情報に対する注目(アテンション)は有限なので、相対的に稀少化する。したがって、希少資源である「アテンション」が、情報財にかわって価値の基準になるという考え方だ。
http://www.hirokiazuma.com/archives/000245.html

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さて、今回の記事の目的は、以上のアテンション・エコノミーという観点からtwitterを考えてみるということです。おそらくそれに近いことは多くの人がすでに考えたり書いたりしている気がします。ここでの記事の肝は、エコノミーのあるところには必ずキャピタルがあるわけだから、アテンション・エコノミー(注目経済)があるのだとすれば、当然そこにはアテンション・キャピタル(注目資本)も存在するだろう、という発想です。twitterを考える上で、アテンション・キャピタルという発想はけっこう有効なんじゃないか、という主張です。

前置きまでを書いた段階で、書きたかったことの大半が実はもう書かれてしまっているというのがこのブログでの記事でよくあるパターンなのですが、今回もそうであるようです。結論から言ってしまえば、twitterにおけるフォロワーの存在は、おおむねアテンション・キャピタルとして理解できるのではないか、ということです。

twitterでのフォロワー数は、ブログの固定読者数やメーリングリストの登録者数とは根本的に異なる性質をもちます。ブログやメーリングリストがある情報を伝え(う)るものであるのに対し、twitterでの140文字という制約内で可能であるのは、他人の注意を喚起することだけです。挨拶などが示しているように、コミュニケーションの基底にあるのは注意喚起です。twitter上でのコミュニケーションというのは、つまるところ際限のない注意喚起の連鎖であり、フォロワー数というのは、その注意喚起の連鎖のポテンシャルを示すものであると思います。

きわめて大雑把に分けて、注意喚起には以下の二つの種類があります。
1)二人称の注意喚起
=私を見て
2)第三項への注意喚起
=あれを見て
twitterは、無視すること/されることの心理的ハードルを極端に下げることで、二人称の注意喚起連鎖の接続可能性を著しく高めました。正確には二・五人称とでも言うべき微妙な距離感を生み出すことで、TLを介したヴァーチャルなコミュニケーション感を醸成している、ということだと思います。そこで確立されている、(一定程度)活性化されている二人称的な注意喚起連鎖のチャネル上に、ことあるごとに第三項への注意喚起が流通していきます。この後者の種類の注意喚起がもっている重要性を端的に示しているのが、twitterにおける短縮URLサービスのプレゼンスだと思われます。

twitter上でのつぶやきはそれぞれが注意の喚起であり、ユーザーの有限な時間を占有しようとしています。そこにはアテンションを巡るエコノミーが存在しているわけです。そしてそこでのアテンションの配分をコントロールしているのが、ユーザーがそれぞれ有しているアテンション・キャピタルです。おおまかには、twitterで行われている営為のある側面は、有限なアテンション・リソースの総量を、それぞれのアテンション・キャピタルを有するユーザーたちが奪い合っているの図、として理解できるのではないかと思います。

このような発想の延長線上で、いろいろなことを考えることができます。たとえば一口にアテンション・キャピタルとは言っても、その内実は単純にフォロワー数の多寡で計れるのかという問題があります。実際には、アテンション・キャピタルの内実はそれぞれのケースを大きく異なっているはずです。思いつくだけでも、アテンション・キャピタルとしてのフォロワー数の質を計るための変数として以下のものが挙げられるかと思います。
a) フォロワーのうち、何人がアクティブなユーザーで何人がゴーストユーザーなのか(bot含む)
b) つぶやきで貼ったURLからリンク先へどのくらいの頻度で飛んでくれるか
c) 積極的にRTするフォロワー数はどのくらいか
d) 自分のフォロワーをフォローしている人数はどのくらいか

第三項への注意喚起という観点からすれば、フォロワー数のうちの実効的な部分はb)の率で計ることができます。これに関しては、短縮URLサービスで統計をみればある程度はかることができます。またc)、d)の数が多ければ、自分が有するアテンション・キャピタルは、フォロワー数の見かけ以上に大きくなります。こういった要素を分析して、各ユーザーのアテンション・キャピタルを精査してくれるプログラムがあったらニーズはあるだろうと思います(きな臭くなりますが)。

twitterのビジネスモデルがどうなっているのか僕は知りませんが、いずれにせよ、貨幣のエコノミーに組み込まれるか否かの以前の段階で、アテンションをめぐるエコノミーがすでに強力に作動しています。そしてそのエコノミーは、もちろんtwitter内に限定されているものではなく、ustreamSNSはもちろんのこと、現実世界でのコミュニケーション・リソースや有名性という資本などが深く絡みあっているわけです。とたえばつぶやき内で貼られたURLにフォロワーが飛んでくれるかどうかには、twitter外で作り上げられた信頼が大きく関わってくることになると思います。

とりあえず、現実は相も変わらず複雑きわまりないわけですが、少なくともtwitterというサービスを理解する際には、アテンション・エコノミーとアテンション・キャピタルという考え方は役に立つのではないか、と何となく考えているのでした。

以上。